ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

雨が撃ち付ける窓のそばで

いつものベッドの上で眠れなかったので、本を読んでみたり、深呼吸をしてみたり、音楽を流してみたり。

場所を変えようと、地べたにマットを敷いて、毛布を掛けてジャズピアノを小さい音にして掛けて仰向けになった。

そうしたら2時間くらいは眠れた。

目が覚めてしまったのは、夢によって感情が呼び起こされたから。

 

激しい哀しみが生まれた夢だった。

夢による感情は内側からじわじわと湧き出てくるが、あまりに激しい。不思議だなぁと思う。

声を上げて泣いてしまう。足で宙や布団を蹴飛ばしてしまう。

日常生活でこんなに激しい感情は湧いてこない。

と、泣きわめきながら自分を客観視している自分。

 

これにはなんの意味があるのだろう。と、

最近は忙しい。仕事が。でも、この忙しさは上の人が忙しくなり、仕事がこちらに回ってきている忙しさである。お客さんが増えたことによる忙しさではない。内部事情によるもの。

身体の負担は大きいし、なんといっても私はキャパが少ないので、仕事の日は、あとは他に何もすることができなくなる。

大体、お惣菜を買って帰る。家での家事もおろそかになり部屋が散らかってくる。そしてとにかく寝る。寝てもなんだか疲れがとれないまま仕事へ向かう。

別に、嫌というわけではなく、私は皆の仕事量のバランスが取れ上手く回るように立ち回ることができればいい。周りの人が自分の仕事に集中できるように。というスタンスで毎日を過ごしており、そんなに精神的に参っている気はしていなかった。

だけど、休みの日になると、眠れなくなる。やりたいことができる時間も心もまる1日ある。心置きなく、誰の動きを考えることなく、自分のしたいことだけをできる。どちらかというと興奮状態にあって眠れない。そのため、パフォーマンスは低下して、したいのに眠くてできない、身体が楽じゃない。という悪循環。結局1日なにしてたんだろう。となる。明らかに効率が悪い。

キャパが狭い私は、こんな状況で友達や家族へのLineも放置気味。

かといって、親しい人ではないけど人と接することは結構あって、それで感じることが色々ある。

 

前提にある今の生活。

 

 

そして夢を自分なりに分析。

内容はざっくりと、

「部屋の襖を開けると、小学生の同級生が真剣に書道を先生に習っている。その書道の先生は今の職場の上司。部屋を開けた瞬間に先生とは目が一瞬合った感じがした。私は、聞きたいことがあり、声を掛けたいが、かけられない。ようやく出た声も小さくて届いていない。(もしくは聞こえないふりをされている。)ますます怖気づいて声が出なくなる。何度も呼ぶがこっちをみてはもらえない。そして近くにいた人間(今の職場のひとだった)が見兼ねて、先生を呼んでくれる。そしてようやく先生がわたしを向く。読んでくれた人間が、先生にこういった。「様子をみて察してくださいよ」咄嗟に私は「そういうのはいい。」と言った。先生は「そういうのはいいんだって。」と言った」

という所で完全に意識が戻り、ふつふつと哀しみが湧き出てきた。

そもそも夢って、現状の自分の声、無意識もしくは気付かないようにしている部分の何かしらの訴えだと思っているところがあるので私からのサインはなんなんだろうと考える。

たくさんみつけた。

 

・扉を開けた瞬間にあっとなったのは、その場の真剣な空気。

自分には入り込めないような気迫、自分にはない熱量。

 

・人が話している所や、その人たちの作り上げている空気を割って入るのは苦手。

自分が苦手な部分。胸の辺りがもやもやする。

 

・自分の存在に気付いているはずで声も聞こえているはずなのにこっちを見てもらえない。

ただ、意地悪をされているような悲しさ。こっちを見るに値しない自分のふがいなさ.

 

・人の声は一発で届き、自分の自信のなさからくる声の小ささ

人の力を借りなければこんなことができない。簡単なことなのになんでできないんだろう。

 

・更には同情されて察してあげてなんてことを言われる。

自分の力不足なのにそんなことを言われるのは恥ずかしいという気持ち

 

・先生の「そういうのはいいんだって」

切り離されたというか、受け入れてもらえない、認められてないという気持ち。

 

 

根本にあるのは、「誰かに見てもらいたい」のかもしれない。

我ながら子供みたいだなぁって思う。見てもらったらそれはそれで多分鬱陶しく感じるのに。

今、みんな表面的なやりとりしかできていない気がしている。

 

もし、私も頑張っているのに…って思っているならそんなもの恥ずべきことだと思う。

何のために頑張っているの?褒められるためではないでしょう?

手にかけてもらえないのは、それに値する人間じゃないから。力不足、熱意不足だから。と思っている。そして、さまざまな面で周りの人と比べては劣等感を抱いているのかも。割と人と話すことも多く、情報も取り入れているから。

そして、今の仕事の仕方じゃきっと限界がくる。身内の為に仕事をしているから。人に届くように仕事をしたいのに、どうもそういかないジレンマ。どっちが本当の私?

自分がしていることがどうもうまくいっていないというか、スルーされている、素通り、あるけどない、誰にも何も届いていない気がして虚しいのかも。誰かから助言というか、人から見た自分をしりたいのかも。

 

「自分の生きがいは他人を巻き込まずに自分自身で得る」

 

この言葉に出会って、そうあれたらと思うけど、まだまだ。

 

多分、これを書くのも、私はここにいるよっていう小さな叫び。