晴れた日なんかは海岸でゆっくりするのが良い。
この季節は夕方からが良い感じ。
やっぱり家じゃないどこかの居場所を求める。
席数を減らしてでも存続するカフェたちはそれを物語っている気がする。
買って帰って家で食べるのとは何が違うのだろう。
何で家ではそれが満たせないのだろう。
1人になりたい。考え事をしたい。そんなときもどっかお店に入ろう。と思ってしまう。
私の住んでいるところや職場周辺にはそんなお店があまりないので、雨の日にどこかでゆっくりして帰りたいと思ったときにここって場所がなくて残念に思う。
大体いつもMUJIカフェにお世話になる。スタバはちょっと違う。
家に帰ると『生活』が待っているから多分気が休まらないのかな。
ある人が「本当は寂しいって思ってるんじゃない?」と言っていた。
寂しさと気が散乱するのはイコールなのかなとピンと来なかったけど、『満たされていない→落ち着かない』ってことなのかな。
単純に家は地べた生活で座っていて態勢を整えにくく体がしんどいって言うのもある。
机、椅子をおくとかって少し環境を整えたら変わってきたりもするのかな。
それでもやっぱり家には無いものがカフェや喫茶店にはあって、逆に家で作り出すのは不可能なのでは?と思う。
つくるとなると完全なる個室を用意して、そこだけは生活を用いない理想的な空間をつくり、必要なときに出入りするのが一番の得策かもなぁ。
周囲の人、声、会話、音楽、調理音、食器を下げる音など全てがあってこその空間だからやっぱり無理か。
なんてことを考える。
今、私に必要なものってなんだろう。
何となく分かるけど、環境の変化、抑圧、牽制が入ってきている気がする。
気にしなきゃ良いだけなんだけど。
色んなことが起こっているけど、必要なものを吸収するためにどうしていったら良いのだろう。