ordinary day

思ったことを気ままに。自分を構成するものとは。他者とは。旅や自然。

全て繋がっている

最近は意識が内に向かっている。

ある人に言われた。

「自分の世界に入っている」
「シャットダウンしている」
「恋愛とか興味なさそう。1人が好きそう。」
「好きな人がいても自分からいかなさそう」
「異性とあんまり話さなそう」

それが結構ずどーんと来たのはなんでだろう。

イムリーで最近、友人やカフェの店員さんとそういう話をしたから。
ちょっと整理。


何を感じたか
・相手が別に友人とかじゃなかったため、なんであなたにそんなこと言われなきゃいけないのと思った。
・昔から同じようなことを言われてきたので、もう聞き飽きた。
・そんな自分をいい加減受け入れたつもりだったけど、まだ受け入れられてなくてそんな自分が好きではないから無性に腹が立った。
・自分は変わってきている気がしていたのに、結局昔から何も変わっていないんだなというがっかり感。
・どれも事実だけど、恋愛に興味がないというよりわからない。そういう存在は欲しいし、1人が好きだけど分かちあえる相手が欲しい。それは分かって貰えないんだな。そう見られているんだな。でも誰かに分かってほしい。
・人との距離感難しい。あまりそういう話をしたい間柄ではなかった。一気に後ずさる感じ。でもそれは核心を突かれて怖いから?
・私はちょっと依存体質かもしれないから気を付けないと。興味を持った「もの・こと・ひと・場所」に対して一気に近づきたいと思ってしまう傾向がある。それで、他の事がおろそかになったり、牽制されたりする。そして勝手に傷付く→シャットダウンという悪循環。
・この歳になると、結婚の話題が出る。みんな恋愛ネタ好きだなと思う。でもいまだに私は結婚の概念はわからなくて、恋愛感情もはっきりわからなくて、今まで好きだと思ってきた人は本当にそうなのかも今となると分からない。ただの勘違いだったのではないかとも思う。
・口をそろえて「子供が欲しいなら早いうちが良いよ。」とみんな言うけれども、「といわれましても…」という感じ。今の時点で子供が欲しいとは思っていないので、あぁ、もっと歳をとって後悔するのかなぁ。なんてぼんやり思う。


あれ、おかしいな?と思う。
私、以前自分を受け入れたつもりだった。生きやすくなってきたなぁと感じていた気がしていたのは間違いだったのかな。
元に戻っていない?
『自分を活かしてあげたい』
『自分なりの人との繋がり方をしていく』
なんてこと言ってたのに、なんで劣等感を感じているの。なんで閉じこもっているの。
人も言う「そのままでいいと思うけどね。」
私も自分がそれが好きならそのままでいいと思う。けど受け入れられていないのであれば苦しい。
自分は無理して変わる必要はないし、本質は変わらないと思っているけど、それが人と繋がることの邪魔になるのならどうにか術を手に入れなければならないとも思う。
人と繋がりたいと思っているから。
いや、もう一度身近なところから今までと違うことをしていかなければいけないと、今日の店員さんとの雑談で思った。




今回の『サクちゃんと蘭ちゃんのそもそも交換日記』にこのようなことがある。

cakes.mu

“自分で「やりたいからやる」と決めて行動するとき、必要なのは責任ではなく、覚悟なのだと知りました。そこに飛び込む勇気と、飛び込んだ後も心と行動を近づけていくには、「断固として変わらない覚悟」ではなくて、「決め続けて変わり続ける覚悟」が必要なのだと思います”

「やりたいこと」を構成する4つの要素を、サクちゃんはこのように分けていました。
・自分がよろこぶこと(単純な欲)
・もともと持っている性格や性質
・できること
・時間やお金の使い方

私はというと

・自分がよろこぶこと(単純な欲)
自分にない新しい何かとの出会い、ひとや場所やものの物語をきくこと

・もともと持っている性格や性質
1人が好き。物事や人に対して真剣に深く向き合う。黙って真面目に取り組む。思慮深い。

・できること
お菓子やパン製造・人の話をきく

・時間やお金の使い方
体力がないので長時間働けない。睡眠しっかり必要。予定を詰め込みすぎるのは苦手。自分のペースで過ごしたい。
お金は生活が無理なくできる程度あればいい。

これで、どこにベクトルを置くか。どうバランスをとるか。覚悟を決めてどこに飛び込むか。
できることに正直「自信」が足りないなと思う。

そして、交換日記はこう続く

「自信」とは「自分の感覚を信じること」なんじゃないかなと思ったんです
自分が何を感じているのかをちゃんとキャッチし、それを信じること。
そこには、他者の評価も、比較も、時代や情勢の変化も存在しません。
「自信」とは、ただ自分の感覚に耳を澄ませ、ただ信じること。

まずは自分の感覚を信じること。それを行動にうつすこと。
すぐに行動にうつせなかったとしても、「自分はこれが好きでこれが嫌い」ってことを信じられていたらそれでいい。「信じる」ということ自体、行動だから。
文字通り、「自分を信じる」プロセスの中に、「自信」があるのだろうなと思います。

あぁ、そうか。
私はどうも自分の感覚を信じられない。それが全てに繋がる自信の無さなのかと。
何がしたいのか分からないのは、自分の感覚を感じられてないから。
レーニングをしていても、このトレーニングの身体の感覚はこれで正解なのか分からない。
理論的に間違っていたとしても、自分がこの感覚で正解と思うことも大切だと思う。
感覚は人には伝えられないから、自分が探して感じて信じる他ないのだから。
だから、人を好きになることも分からないのだろうな。
自分の感覚を信じることができないから。
自分の感覚に耳を澄ませ「感じる」そしてそれを「信じる」という行動から始めなければと思う。
そしてようやく物理的な行動に移せるのではないのか。
そこからもういちど始めてみよう。


「361°の位置 今何が見みえている?
挫折と悩みと悲しみ さよならの上」
「ほら始まりに戻ってきた 今何を抱いている
誰かの顔とか浮かんで まだ続いているとわかって」

SUPER BEAVER /361°

本にも人間の変化を説明するのに、「360°ぽんっと抜けたところ(上記の歌詞で言う361°)。始まりに戻ってきたようだが「~し切る」状態。シンプルに見えるが極まった状態。
それでいて螺旋状に上昇していく。」というのが適切ではないか。とあったのを思い出す。

皆、「詩人」だなと思う。何をしているかが違うだけで、本質を突いている。

私もぐるぐる回っていつも元に戻ってきているだけのように見えるけど、上昇しつつもあってほしい。