ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

うるさい

何かが違う。
何のための自分なんだろう。

「気にかけて欲しい。 面倒を見て欲しい。 お節介になってほしい。それで辞めるのはもったいない 。上の人間が 環境を作ってあげなきゃ。
自分たちでやりやすい環境を作っていって欲しい。 」
それはごもっともだと思う。
けど 頭でわかってても私にはモヤモヤするものがあった。 喉の辺りで何かがつかえている。
感情、 言葉にならない想い。それはきっとここで出してはいけない想い。

このモヤモヤは何なのか。
自分は甘えたいのかな。
じゃあ私のことは誰が見てくれるのなんてことを思ってしまった。
社会として組織として、上の人が下の人を気にかける。それは当然のこと。
なんだけど、たまに思う。
年齢とか関係なくない? あるけど。 余裕がある人が、 心に余白がある人が、それぞれがそれぞれを 気にかけていたら いいのでは···??
それって違うのかな。
人間関係ってそうなんじゃない。仕事云々、スキル云々置いといて、 そこからじゃない?
最近また傷ついた これも被害妄想なのかな。
声をかけても 届かない時ってある。
そういう時は もう放っとこうってなる。
私も人、相手も人。 噛み合わない時もある 。
けどそれをスルーするスキルが私にはまだない。仏みたいな心は持ち合わせていない。 どうしても傷つく。勝手に。だから、もういいや。
なんて思っていたところ。
自分だっていつも 面倒見てくれましたか?
私のためというより、 会社のためなのでは?
なんて思っている時点で負け。この思考がもう未熟。
言いたい事が言えない。言うこと自体諦めている。
信じられない、人も自分も。 私はもう、ここにはいない。


「 自分たちでやりやすい環境を作っていく」
当たり前のことだけど私はそれをやってこなかった。
昔から我慢すればいい。
あるもので。どうせ声を上げても意味がない。声を上げるのも面倒だ。 と諦めてきた。
言わないとわからないのに。変わるものも変わらないのに。それが染みついている。
より良くする方法は そこら辺に溢れているのに。 それさえにも気づかない、見ようとしない。 今揃っているもので 周りにあるもので充分とは言えないけれど、それでしか手段がないかのように、閉じこめられているかのよう。一向に声を上げることをしない。
遠慮がち、控えめと言われるけど、そうじゃない。ただただ言っても無駄だと諦めている。尚更たちが悪い。
そういう生き方をしてきた。 それが周りに回っている。
どうしてそうなったかは、過去からの積み重ねなのだろうけど。
それよりどうしていけばいいかに目を向けられたらいい。
最近 ようやく「自分が心地よく生きるためには どうしていけばいいか」 それを考えるようになったのだ。
少しずつだけど 動いてもいると思う。時間の使い方も 変わってきたと思う。ようやくだ。
我慢しなくてもいい。我慢は美徳ではない。より良くするために自分で動けるほどにはもう大人だ。
でもその「自分のため」にさえ、まだ染み付いていない。
そんな中で、人のためにが出来ない。
やろうとしても何かが違う。からまわる。

一体、私に何を求めているんだ。
人としてまだまだなのは承知なので、私のペースでいかせてください。

という鬱憤。
今日の一曲は
「うるさい/SUPERBEAVER」
に決まり。

で、切り替えよう。
良き1日に。