ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

ネット上の自分、生身の自分

昔は私にとってSNSはある種の逃げ場だった。
いつも関わっている人には出してはいけない、負やマイナスの自分を出せる場所。
出しても、その場の空気を悪くしてしまうという罪悪感、よっぽどのことをしない限り人に害を与えることはないから、そりゃもう吐き出す場所だった。
だからSNSと私は分離させていた。

それが今はもう(というか数年前から)SNSは情報発信の場になり、集客、ビジネス、サロン…
何年か前までは生身の世界が主役で憩いの場(?)みたいだったのに。
同等の場になっている。

沢山の人が情報や利益を求めて通信機器で駆け巡る。
となると、生身の世界にいるときと変わらなくなってきたような気がする。
どこまでも頑張らなきゃ、一定以上は常識のあるきちんとした人としていなきゃ。じゃないと生きていけない。
みたいな感覚がある。
え、私、どこで生きてるんだろう。


そもそものところは、人に弱いところを見せてはいけない。弱音やマイナス発言は人に悪影響を及ぼすからしないに限る。という思いが強い。
行き過ぎたらその通りだと思うけど。
でもそうやって自分を追い込んで行き場をなくして苦しんでいいことってあるのかな。

だとしたら、SNSだろうが生身の世界だろうが、楽しい私も負の私も怒りの私も出していくべきなんじゃない?
あれも好きだけどこれも好き。仕事はこれをしてるけど、こんなことにだって興味はあるよ。本読んでいるよ。
いろんな自分を出してもいいのでは?
自分というのはなにか1つが構成するものじゃないから。

さっきもかいたけど、それができないのは、
この場ではこういうスタンスできたからこれからもそうでないといけない。
負の自分はみる人を沈ませてしまう。明るくいなきゃ。
見当違いなことを言っていると思われる。
受け入れてもらえない。
という思い込みや、他人の目を無駄に意識しているから。自分はこれなんだって、自分はこれをしたいからしてるんだって自信を持って言えないから。

そこを転換できたらいい。

そしたら、SNSと生身が近付いてきて幾つものもので構成された私が存在できる気がする。
もう少しどちらでも心地よく居られる気がする。