ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

究極の選択(?)

「カレー味のする う◯こ」か「う◯この味のするカレー」を食べのどっちがいい?(汚くてすみません)
というのを一度は耳にしたことはありませんか?
今となって考えると、これは、う◯この形をしたカレー、 カレーの形をしたう◯こ。ただそれだけの話な気もするけど。

…そんなことは置いといて

歳を重ねた今、たまに 「性格が悪くて仕事ができる人」と「性格が良くて仕事ができない人」仕事するなら どっち?
と聞かれる。
皆さんはどっちでしょうか?

これまた様々な条件付けをすると変わってくると思う。
性格が悪いってどのくらい? 相性の話?はたまた仕事ができないってどのぐらい?
みたいに設定によりけり。

言葉のそのままだけの意味と捉えると、私は今は 「性格が良くて仕事ができない人」 を選ぶ。
論理的に考えると、仕事の場だから仕事が出来ないと価値がないと言えば終わってしまう話なのだけれども。
性格の悪い人と場を共有して、殺伐とした或いは恐怖や不安を抱えて仕事をするのはごめんだ。
そこまでしてその空間で仕事をしたいとは思わないだろう。
よっぽどその仕事で生きていきたい、仕事だけは守るという人なら別だろうけど。
今の私は人や心地よさを重視しているらしい。
何をするか、どこでするかというより、誰と居るか。


これも最初の質問くらい考えるだけ無駄な究極な質問なんだけど。

その場では性格が悪くても、誰かにとって良い人になると思う。その仕事が出来ないとしても、他にできることがあると思うし。
どちらかといえば、その人が出きることをやればいいじゃない!性格、というか人格が悪い方が救いようがないよ…と思うのですが。
まぁ、性格が悪い方は人格を向上させる努力をして、仕事ができない方は仕事を覚える努力をしていけばいい話。もちろん本人の気持ち次第だけど。

そんなことを考える出すと違うフィールドでの話になり、一生意見はまとまらなくなるからここまでにしとこう。

皆さんは、この質問をされたら瞬時に決めれますか?それはどういう思いからですか?