もう一度会いたい人、いますか?
それも、熱烈に。
会いたいじゃなくて、会わなきゃ。という。
もう一度会わなきゃいけない人って
『何か借りがある人、心残りがある人』
ではないかと最近は思う。
『会いたい』と『会わなきゃ』は別の話な気もする。
会いたいは、会いたいけどまぁまたそのうち。元気にしてるかな。最近連絡とってないけど、でも連絡する理由も特にない。そしてこれはいつの間にか薄まっていく。
会わなきゃは、そうしなきゃ心が鎮まらない。これだけは伝えておかなきゃ、返しておかなきゃ。でも比較的今は環境的、物理的に会えない状況にいる。
分かりにくいけど、こんな感じ。
正直、一定期間会っていなければ、その人と会わなくてもなんともなくなってしまう気がする。
それは物事も一緒。
あんなに好きだった、『サーティワンのバーガンディーチェリー』『スタバの抹茶フラペチーノ』今は全然口にしない。
一時期は、見かけたら必ず買っていた。
趣味嗜好の話だけじゃなくて、
これはもう、好きというより習慣や執着だったのかなぁと思う。
触れる機会が減れば、それと同時に執着も薄れていく。会いたい、欲しいという気持ちも薄れていく。
そんなこと言うと、私は「冷たい」とか「情がない」とか言われるのだろうか。
今、私は会わなきゃという人はいない。
会いたいもあまり…
こんな世の中でも、動けばすぐ会えると胡座をかいている。
きっと『会いたい』はいつでも『会わなきゃ』なんだけど。
こんなことを考えていたら、
『貸し借りを作っておくと比較的関係が続きやすい』
と本に書いてあったことを思い出す。
それは一種の方法かもしれないけど、そうでなきゃ関係が続かないのは寂しいなぁと感じたのも同時に思い出す。
けど、実際そうなのかもしれない。
そうでもしてないと、きちんと精算されている関係は、よっぽど心地好い人でない限り、もう一度会わなきゃとは思わないから。
そうやって人は近づいて遠ざかって、新たな人が近付いて遠ざかって、とうつろっていくのかもしれない。
そんな中でも結局は、
『今、誰といるか』
が1番大事なのかなと思う。