ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

今日のおしゃべり。

私はアイロンがけが苦手だ。

 

時間がかかる割に細かいしわが残ってしまうから。

労力の割に合わない。

アイロン台が狭いので服の場所を細かく移動させなくちゃいけない。

すると、先ほどアイロンかけ終った箇所がしわにならないように配慮する必要があり、配慮したつもりでもしわができている。冷めないうちなのでなり易くもある。

あと、せっかちなのかアイロンをゆっくり動かすことが苦手。もちろんゆっくりしないとしわは取れない。

ボタンがあるところ、襟、袖、折込部分、ポケット…

これらを上手く扱って当てるのは非常に難しい。

下手にすると、くっきりといらない線がついてしまったりする。

だからある程度きれいになれば、人前に出ても恥ずかしくないレベルならいいとハードルを下げてやっている。

 

しわのない服はやっぱり見てても着ていても気持ちいいから、その状態は好き。

けど、完成がそこまで納得できないと分かっているとやる気はでてこない。

私はやるからには自分の中でよしっと感じられるものを残せなきゃ満足はできないらしい。

なんでできないかというと、やり方をしらないから。

小学生の家庭科の授業とかでちょろっとしたような気もするけど、そんな色んな形状の服を当てなかったと思うし。

これは、

きちんとした方法を調べて実践する。

しわになりにくい服を購入する。

で多少は解消できることなのかな。

 

 

 

 

ある本で、

 

「一見して劣等性風だったら、まず、ちょっとした自信をプレゼントしようとするな。

なんでもいいんだ。彼の話を真剣にきいてあげる。それだけでもいい。彼の話に対してこちらの真剣な意見を伝える。この年頃は、他人と深い話ができた、ということだけでのびのびしてくるんだなぁ。」

 

「人前でリラックスさせる。劣等生は人前でリラックスできればそれだけで能力差をいくらかでも縮めれるんだ。」

 

「中には、すっかり意気殻や考え方が固定してしまって、優等生など、これまでの生き方で、ずっとやっていけると思っているものがある。

時間があれば、ゆっくりもみほぐしてみたいんだけれども、どうも急ぐね、彼の概念破壊を乱暴にやらざるを得ない。そうすると、もう来ないね。」

 

「わらってきいてくれればそれでいい。嘲笑であってもかまわない。とにかく笑うということは、徐々に思い込みをほぐしていくからね。」

 

「しかしそういうところからゆっくりとやっていく。普通は、笑ってばかりはいないよ。長所の裏生地に短所がひっついているのと同じく、短所の裏にも長所がひっついているところを感じてくれる。

その感じ方の度合いで、俺は若い人を採点するんだな。」

うらおもて人生録 / 色川 武大) 

 

という語りがあった。

 

『この年頃』とあるだけに、学生とかの若い人たちのことを指しているに間違いはないけど。

そうそう。人と深い話ができたとか、他の人には話していないことを話してくれた。というときに、凄く満たされた気分になるのはそういうことなのだ。

自分がそれを話すだけに値する相手として認められている。ということが自信になるんだ。

これを読んで気づいた。

そして、まだまだその段階にいる私は、一生子供のままなのかもしれないとも怖くなった。

こんな風に若い人をみる大人はどれくらいいるだろうか。

もっと小さい時にこういう目線で接してくれる人が近くにいてくれたらよかったのに。

って思ってしまうが、誰のせいでもなく過去は変えられない。

この歳にもなると本当に。

素直さもなくなってくるし、様々なことに対して自分の概念が出来上がってしまっているので、それを崩すのは想像しただけで途方に暮れるし、やはり自分だけでは無理だろうと思う。

何か決意したとしても、自分には自分の考えで覆いつくされてしまう。

人と話すにしても色んな事を人に言われて、嫌になって、反発して、落ちてしまう。

そんなの慣れている、気にしないという専門家みたいな人か。

近すぎないゆる~い距離で、助言している、変えようとしているようには見えず、変わらなくても文句は言わない。いい意味で期待しない。うまいこと方向転換できるように指し示してくれるこの著者のような大人か。

そういう人の力が人には必要な気がする。

と言っても、概念破壊を乱暴にすると、もう来ないね。とある。

それほどに頑固でかちかちのものをふにゃふにゃにするのは本当に難しいことなのだ。

それを意図的にしようが、単なる人との交流だろうが、人と人との化学反応はたまに起きることもある。