ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

piano

浮かんできたことを紙に書きたい!!

って思ったときこそペンを持っていなかったり、紙を持っていなかったり、、、

スホに打つのと紙に書くのとでは全然違う気がする。

 

ピアノを4月から習い始めた。

月一だけど。

本当はもっと頻繁に通いたいけど、値段と距離とを考えると今はこれが自分にちょうどいい。

今の先生は弾き合い会に行って、その人をみて、凄い!と思って声を掛けさせていただいた。

やっぱり先生は自分で決めたい。

なんとなくじゃなくて、この人から学びたいと思った人がいい。

 

ピアノは自分の音はまだまだだと思う。

どうやったら、あんな素敵な音が出るのだろう。

あんな表情がつくれるのだろう。

と分からないから、もっと知りたいから、自分が弾けるようになった姿がみたいから、楽しい。

少しずつ音が変わってきているのもわかるから楽しい。

今は習うことしか、そこへ近づく方法がわからないけど、知らないことばかりで、なんとなく、もっと良くなる自分が想像出来る。

 

弾き語りのピアノがもっと素敵になればいいなぁという気持ち。

 

 

もし、もし、それが達成できたら、自分が満足する音が出せる日が来たら、私はさらに先を見て行けるのだろうか。

そこで満足して終わってしまうのか。

でも、音に満足できる日なんてくるのか?

満足するということは、終わりと近しい気もする。

分かった気になることやできた気になることは、危ないのかもしれない。

出来ているのに、出来ないと思うこと粗を探し続けることも良くないけれども‥

 

もしかして、達成できないからこそ、私はそこを目指してピアノを続けているのかもしれない。

 

私は気づいていなかっただけで、入口はもうとっくに過ぎていて、中を歩き回っているところかも。

戻るにも戻れない、終わりも見えない、そんな所にいるのかもしれない。

 

ぽつり

1日のなかで小さな選択がたくさんだ。

意識してないといつもと同じ反応をしちゃうから、って意識して選択をしようとしたらどっちが通常でどっちが新しい方だったっけ?って分からなくなる。

新しい選択は慣れないから、うまくいった感がない。

でもいつもの選択でも上手くいっているようには思えない。

どっちにしても良いようにならないしな。

っていう気持ちがあって、さらに選択がわからなくなる。

 

人と関わるときの、一言一言、表情の選択の一つ一つは何より大きな影響を与えると思う。

でもいちいち考えすぎていてたら不自然だし、時間は止まってくれないので、沈黙が拒否と受け取られる。  

とりあえず合わせる、良いように言うってことが苦手過ぎて、自分のそのままの気持ちを表そうとその瞬間に潜り過ぎてしまう。

勝手に悪いほうに想像しすぎてしまって、自分から距離をとってしまう。

 

そういう時は、思い出すのだ。

 

今目の前にあるものはなにか。

 

目の前の事実はなにか。

 

今見えているものだけにフォーカスするのだ。

 

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私は誘われたら、必要とされたらとても嬉しい。(みんなそうか)

えっ!ほんとっ!行く行く!ってなる。

でもその後に、なんでもかんでもいつも飛びついて結局疲れるだけというか、最近そういうことでうまくいかないことが多かったから。

どうせ上手く喋れないしとか、何から話したらいいか分からないし。

って思っちゃう。

想像して断るんだよね。

断られたら行きたくないのかとしか思わないもんね。

あとで、行けば良かったかなぁって少しばかり思う。

 

かすかにかすかだけ、今の私の周り以外の人の話を聞きたい、他の世界に触れたいと感じる思いを確かに感じた。

それがあることが嬉しかった。

人はやっぱり一人では生きていけないらしい。

 

私、どこにいったらいいか分からないけど。

少し、回復している気がする。

 

ぐるぐる思考

たまに、自分がやっている音楽を人に出していいのか分からなくなる。

 

いや、自分の自由だしやるなら勝手にやればいいのだけれども、それを人前に出す意味はと感じる。  

 

人前に出す必要あるのかな。

(2回目 ;;)

 

そもそも、まだまだひよっこで、聴いてもらえるほど技術はない。

 

もっと早くしとけば良かったと嘆いても意味はない。

 

今の自分にしかできないことがあるとも思う。

熟練のバリバリの人達には出せない感じもある。

 

最近は、完璧じゃなくてもそこにいられる自分も欲しいと思い、とりあえずボロボロでもいいからオープンマイクに再び挑戦しているけれども。。

なんだろう、できなくてもそこに居ていいと思える。それだけが欲しい。

だけどそういう人はきっと愛嬌が必要なんだ。

バリバリ上手い人じゃないと、ただそこにいるって許されないのかも。

 

私は、別に人と話したいわけじゃない。

いや、話したくないことはないのだけれども、話すことがない。

音楽についてもさほど詳しくないので話せない。

私、音楽やってるって言えるのかなー。

大きい意味では言えるけど?

解像度を強めたら言えない?

でもそんなの誰が決めるの?

基準なんてないじゃん。

 

人は、最初のうちは気を遣って話しかけてくれるけど、そんなフランクに話せないし。 

 

自分の歌う曲も、別に明るい曲じゃないし。

それについては、今の私がしたい曲なのだから別にいいとは思っている。

もしかして何年後かには巷で言う前向きな明るい曲が歌いたくなるかもしれないじゃん?

その時には今私が歌っている歌はきっと同じようには歌えないよ。

 

だけど、最初に戻るけど、これを人前でする意味はあるのか。

前から思っているけれども、何で、ブルースなら、叫びみたいな曲でも、なんだかかっこいい、音楽を分かっているってなるのに、私が歌う曲はなんだか悲観にしか思えないのだろう。

曲調、リズムまでもがそうだからかな?

これ、全部自分が思っていることなのかな?

他人は何一つ気にしていないのかな?

 

それでも私は自分にできることをする。

だけど、それが人と馴染めないから、いつもジレンマが生まれる。

どっちかを手放すとしたら?

私は自分のしたいことを取る。。

 

でも、なんだか隔たりが大きくなっていくきがする。

いつも同じ所でぐるぐる回る。

これはなにか上手く交わしたり、策がないだろうか。

今自分がやりたいことをやりつつ、うまいことやる策。 

それがきっと、喋ることノリ良くそこに居ることなんだろうけどそれが出来ない。

それでもやる程心が強くないかも?

家でひっそりしておこうってなるかも。

そうならない為には、自分のことをある程度分かってくれる人がいる人たちのところでとりあえずやっていくしかないのかも。

でもその場所を作るには、やはり自分が何度も足を運ばないといけない。

 

あと、楽しみ方は人それぞれだと思うのだけれども、みんな同じように輪にならなきゃならないのだろうか。

それなら私は、喋らないで音楽だけ聞いてるキャラになりたい。

というか、それでいいと何も思わずそこに居られる自分でありたい。

 

誰も何も言っていないけど、いつもこういう思考になるのです。

 

努力

ふと考えてみる。

昨日、苦しい努力はもうしないって書いたけれども、私が曲を仕上げるために使っている方法はどっちなんだろう。

 

仕上げたい曲はある程度できたら、人前で歌うようにしている。

そして、現在地を知る。

ある意味 人の目を使って自分を押し上げている。

人にこんなボロボロの曲を聞かせてしまった。。

表現とかは後でいいから とりあえず1 曲 止まらずに間違えずに通せるようにまでしなきゃ。

もっと弾けるようになりたい。

という気持ちから自分にムチを打って練習に励む。

これはとにかく、人前で1曲きちんと弾けるようになるというまでのプロセスだ。

家でどれだけ弾けていても、違う環境、人前となると、頭が真っ白になる。 

そんな状態でも弾けるようになるまで、繰り返す なじませるという感じ。

 

果たして これは苦しい努力 なのだろうか。

それとも挑戦なのだろうか。

 

人前は別に好きじゃない。

その場で 人と交流するのも 別に得意じゃない。

むしろ どちらも 重荷だ。

けど、人に届けたい。 

矛盾しているような感じだ。

 

そのプロセスが、気分よくできているか、心地よくできているか、と言われたら そういうわけじゃないんだよな。

けど、これがなかったら真剣に弾けるようになろうとはならない。

順序が逆なのだろうか。

 

やりたくて、やりたくて、やって、やって、できるようになって、これは誰かに聞いてもらいたいて思って、人前に出て行くものなのだろうか。

 

ちょっと考えすぎなのだろうか。

今までずっとこのやり方で曲をある程度 仕上げてきた。

どうだろうか。

ここでも少し立ち止まる時が来ているのだろうか。

バランス

気温は低くないみたいだけど、太陽が出てないと肌寒い。

鳥の声は 心地いい。

家ではない この場所で 身を委ねている。

 

家には読まない本がたくさんある。 

読み終えた本もあれば、途中のものもある。

最近は本が読めない。

頭に入ってこないのだ。

字だけ追って ただそれだけ。

読まないなら 売ってしまおうかなって思うけど、なんだか それもまだ違う気がする。

 

私の家にはそこから動かないものがたくさんある。

ということは、この数年間 使ってきたものは、ごく僅かということだ。

それなら ほとんど いらないものではないか。

整理整頓したいなぁ。

いる、いらないの判断がめんどくさい。

そこに使うエネルギーが残っていないのかもしれない。

多分なければ気にもならないものがたくさんだ。

誰かが勝手に捨てといた!と言って整理してくれるのならばそれはそれでいいと思う。

ほとんどそれくらいのもの。

 

毎日 同じ みるもの達に、少し、飽き飽きしてきたのだ。

 

かと言って 何かがしたいということもあまりない。

最近は少し時間に余白が出てきたように思う。

何かをしているという時間ではないが、 頭は動いているのかもしれない。

それが一番消耗するよな とも思う。

 

空き時間ができたら何かして、キラメキ、ときめき、わくわく、安定、安心感が欲しいなって思うけれども、本当に何も浮かばないの。

私今まで何してたんだろうって思うけどずっとずっと ピアノ のことを考えてやっていたなって思う。

それは少し強制的な部分 やらなきゃという気持ちもあったと思う。

今も空き時間があれば、次の場所でもっといい感じに弾きたいから、練習しよう とか 基礎練だけはしようとかっていう思いは浮かんでくる。

 

でも、嫌な気持ちとか苦しい思いになってまでする努力はやめようって思った。

本当にやりたいならやればいい。

湧き上がってくる 思いがあるならやればいい。

やリ始めたら確かに集中できる。

途中で疲れたら、気分が乗らなくなったら一旦止める。

ってしてみている。

短期集中。

 

だからその分の時間が余白となって出てきたんだ。

他のことを何もしていない目も向けていなかったから、 今は、 何がしたいとかわかんない。

公演行ってみようか、気持ち書いてみようかって頭で浮かんでも身体が動かないことも多い。

(風呂はいらなきゃと思っているのになかなか入れない時みたいに)

とりあえず動こう!と言って動き出すようにもしているけれども。

 

なかなか色々なバランスが難しい。

何もしていなくとも、安心していられたらいいな。 

それを自分に許せたらいいなぁ。

 

 

忙しない

どこに行っても声を掛けてくれる、気に掛けてくれる人はいるのだ。

そういう人は面倒見が良いのか、昔の自分と重なるからなのか、器が広いからか知らないけど。

どうであれ、ありがたいなぁ。と思う。

 

それに反してどこに行っても上手く立ち回れない自分もいるのだ。

最近はそれは気にしないように少しはできるようにもなったけど、うまく話せない、言葉が出ない、抑揚がない、反応が薄い

と言うのを、この人は話しにくいとか、怖いとか、仲良くなる気がないのか、、、

と判断しないでとも思う。

気がないのではなく、本当に身体レベルでできないのだ。

逆にそういう人ほどそういうことで悩んだりしているのだ。

もっと適当に受け流すことができたらとも思う。

 

もういいや。

出来ないことはできないし、気にしないと出来る場面も増えたけど、まだ多くの場面で、いつもの自分の考えに引きづられてしまう。 

 

でもここまで来たら、どうやってこの自分が心地よくいられるか。

が最初で、そこが安定してきたらもっともっとと広げていくという戦略しか無いように思う。

 

いっそのこと、なんか自分が大きく動かされるような大きなこと起きないかなぁ。なんて。

よく人は、大きな病気になって変わったとか、大きな事故に遭って変わったとかっていうじゃん。

まぁ、何事もなくてありがたいことなんだけど。

そうやって外側に求める私はまだまだ未熟。

 

とりあえず今は、今自分が出来ることに注力しよう。

  

 

話は変わるけど、なんだかしたい曲も浮かんでこない。

自分がしっくりくる曲。

今やっている曲に、飽きたというか、なんかこれ以上はいいかなと思っていて、

今度は前向きっぽい曲がいいなぁと思うけどなんだか浮かばないし、あんまり最近は曲を聴いていないなぁとも思う。

改めて、全体的に引きこもっていたのだと気付く。

自然と湧き出るときが来るといいのだけれども。

うぅ。気づくことがまず大事。

 

なんか、あっちこっち脳が忙しいみたい。

ぼやき

過去のことを、

あの時ああするべきだった

と第三者が当事者に言うのはなんなんだろう。

 

それはそこからの過程を外側から見てきて、今の結果論であって、この先の事がどうなるかもわからない。

悪いように見えることが、実はその人にとって長期的に見て良いことだったかもしれない。

今の時点でその人から見たらそう言えること。

私には、良いも悪いもわからない。

そりゃ、そうしていたら今は全く別の生活を送っていたとは思うけど。

それはパラレルワールドなのでわかりません。

 

ただ、その言葉を聞いて、防衛線を張っておかなきゃ少しやられてしまうなという自分がいる。

自分が悪いと言われているみたいな。

もう、4年前のことなのによ。

 

 

いつだって選択、選択の人生。

当事者には、事象の最中には、分からないこと、見えないことがたくさんあるよ。

でも正しさよりも、自分がこうだと思った方へ進んでいきたいよ。

でも、後ろから視野を広くして見ているもう一人の自分もいてくれたらなぁとたまに思う。