ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

ライブ

坂口有望のライブ「Library」

ゲストはヒグチアイ

 

ヒグチアイは、やっぱり弾き語りこそ良さが発揮されるのではないか。

 

いくつ声を持っているんだと思う。

どのライブでも表現力に圧巻。

 

はぁ。良いため息が出る。

 

色んな気持ちを思い出した。

なんにも知らないけど憧れであって、よくわからないけど私の一つの答えみたいな存在。

向かっていきたい在り方、みたいな。

 

ヒグチアイの出るツーマンに行くと、対照的みたいな音楽が鳴る。

それでもお互いリスペクトして居る感じがわかる。

そう見えているのは表面的な部分で、ひとりの中に、対照的な部分は存在するんだろうな。

それぞれの決まったスタイル、陰と陽があるからこそ、それぞれの良さがわかる。

そして引き立つ。

 

だとしたら、無理に違うなにかになろうとする必要は無いのかもしれない。

私の持っているものが誰かにはなくて

誰かの持っているものが私にはない

それを、羨ましがるのじゃなくて、単純に、凄い!でも私にはこれがある。と思えるようになりたい。

 

やっぱり、弾き語りは一対一の対峙だからいいな。

程よい距離感で人を感じられて良い。

こういうのが好きだし落ち着く場所。

 

日記 2024.3.2

最近の私。

「わたしなんて」

症候群(?)がまた表れている。

その何が厄介かというと、それは表には出さないから、外の自分と中の自分が乖離しているところ。

割とそとでは気丈に振る舞っている(と思う)から、その反動で疲れがどっと。

人と話すのは1日4時間くらいでタイムオーバーかな。

それ以上続けば、早く会話切り上げたいし、人の話聞いている余裕がない。

 

「わたしなんて」

の自分への影響を考える。

 

1、私なんてなんにもできない、わたしなんかがしても無駄。なんの役に立たない。影響もない。

→完全に目に力が宿らないのが自分でもわかる。諦めた目で物事や人を見てしまっている。

 

2、私の話なんてつまらない。

→話すことへ自信がなくなる、自分の話をすぐ切り上げてしまう。

自信がないから、喋り方や声のトーンも暗い方へいってしまう。

好きなこと、ものの話なのに、「聞いて!聞いて!」「いいでしょ!いいでしょ!」ではなくて、「どうせいったって分からない」「どうせ言ったって(暗いとか、どこがいいのかわからない)と否定される」という思いで話してしまう。

から、好きな物さえも自信をもって語れないんだなぁ。

と最近、「どうしてこの人の好きを語る熱量はこんなにも強いし、伝わってくるのだろうか」と思う人を考察して気付いた。

好きを語る人の目はきらきらしているしエネルギーは人をひきつける。

 

とにかく自分のことを人に話すことに自信がない。

どうしたらそれは出来るようになるのかな。

この人なら聞いてくれると思える人を増やすことかな。

話せる人から話していくことかな。

 

 

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前向きな人が周りに多いので、私もがんばろうと思える。

力強い言葉をくれる人、どうもありがとう。

その言葉の効力はいつまでも続かないけど、確かに1つずつ積もっている。

 

 

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ずっと行こう行こうと思っていたオーダーメイドの枕の高さ調節&除菌にいけた。

ランチは楽しかったし美味しかった。久々にああいう料理を食べた。

コースで約4時間いたかも??笑

前の職場にも顔を出した。

あの頃の様には話せないけど、仕方ない。

みんな別々でそれぞれの歩みを続けている。

私は私の。

日記 2024.3.1

日記を書くとか言いながら、間が空いた。

2月は働きすぎた。

自分の時間が無さすぎた故、全然余裕がなかった。

その分、お金は入ってきたけど考えなきゃ。

とりあえず、3月も調節しつつやる。

 

新しいバイト先でも色々ある。

元の2つのバイト先でも色々ある。

人との繋がり、関係性もいろいろある。

ライブにもいった。

色んな言葉をもらった。

日々過ぎるのが早すぎる。

ライフスタイル、いろいろある。

やりたいこと、いろいろある。

続けていることもある。

 

 

3月。

私が丁度生活を変えて1年がたつ。

私、ピアノを歌を真面目に取り組んで1年になる。

続けることは成長を感じさせる。

すぐに結果が出ないことこそ、この過程が自分への証明になる。

この1年が次へのエネルギーへとなる。

1つだけでもそういうものを持てていて良かった。

 

自分自身の成長はなかなか厳しい。

損得勘定ではないけれど、どんな人といたらエネルギーがあがるか、

どんなところに居たら前向きになれるか。

少し冷静に感じることができているかもしれない。

自分がその側になるにはなかなかな道のりだけど。

そういう環境に居たい。

 

3月は後半また怒涛のスケジュールになりそうだけど。。。

とりあえず、明日は前の職場の人とランチ。

美味しいものとみんなの近況報告楽しもう。

ことば

「2人で1つのものを作り出すということ。

自由でよい。何がだめとか何が良いとかない。

 

音を聞いて、思い浮かべて、色など、情景など。

浮かんでくるメロディ。

それぞれ違って良い。

自分の好きなことをしたらいい。

 

コミュニケーションは言葉じゃない所でほぼ成り立っている。

喋って無いところの方がたくさん喋ってる。

言葉は概念があっての、物理的実証。」

 

一緒に合わせをした人がぶつけてくれた言葉。

 

 

言葉ってそう。

伝える手段だけど全部は伝わらない。

それぞれの固定概念が違うから。

それ以上に伝わるのは空気感とか、その人の所作とか、動きとか表情だ。

でもだからこそ…言葉をきちんと選んで伝えたいことも思う。

言わないと伝わらない部分もあるから。

でも言わなくても伝わる部分もある。

 

私は、言葉、口から発することに躊躇や不安が付き纏う。

言葉を大事にしているし影響も考慮しているから。 

「喋ってない所でたくさん喋っている」

なんだかはっとした。

 

これはまた。

すべて、すべて想像力だなぁ。

日々。

忙しない日々が続いている。

私はなにやっているんだろう。

 

美容院いったと思えば仕事に行く。

仕事の後に友達の演奏会へ向かう。 

終わったら直帰。

仕事後に練習をする。

ブッキングライブに出る。

SUPER BEAVERのライブに行く。

仕事からの仕事。

次の約束がまた生まれる。

次のステージに向けて練習する。

合間に友だちへLINEの返信をする。

 

一つ一つを噛みしめている暇なんてない。

終わったら次。予定に追われている。

自分に棘が生まれているような感覚もある。

私はこれで良いのか。

今はそういうとき。とやっていくのか。

 

少し頭がついていけていないようだ。

混乱している感じもある。

話すこと

人に何かを伝える時、プラスではない思いをどうやったらさっぱり伝えられるのだろう。

愚痴っぽくなさっぱりく清々しい感じに。

例えば、いったお店でそんなに美味しくなかった。

とか

雰囲気がちょっと不思議な空間だった。

とか

 

美味しくないものを美味しかったっては言いたくない。

本当にそうは思わなかったんだから。

 

あんまり美味しくなかったーとか、綺麗だったけどもっとこうだったら良いと思ったーとか。

言わないほうが良いのかな。

 

感じるのは、みんな綺麗に話すなぁってこと。

説明文みたいに自分に起こった出来事+感想。

しかもその感想がプラスの感想。

あまりに綺麗すぎやしませんか。

 

別に私、愚痴を言いたいわけではなく、めっちゃ悲観的に感じているわけではなく、感想を言いたいだけ。

ただ自分の思いを言いたいだけ。

からしたら、それをネガティブに思われて愚痴っぽいとか話を変えられたり、前向きな言葉に置き換えられているような気がする。

別にいいじゃん、あなたはそう思ったんだねーでいいじゃん。

ダメなのかな。

人前ではプラスのことしか発したらいけないのかな。

というより伝え方?言い方?言葉の使い方?声のトーンとか表情?

わかんないなー。

いや、理屈はわかるけど、その方法がわからないというよりむずい。

 

最近あったのが、

スマホを家に忘れてきた。

自分の中でのハプニングだったから人に共有したかった。

別にそこまで落ち込んでもないし、気分下がってないし、スマホなんてなくても生きていけるし。

「今日スマホわすれてたんですよ〜。今日は誰とも通信できない」

「でも俺だって1日スマホ断ちするときとかあるよ」

 

って返された。

なんか、違うんだよね。

いや、私が期待している返答ではなかっただけなんだけど。

 

わたしはただ笑って欲しいだけなんだよね。

「忘れたん?笑笑」

ぐらいの軽い気持ちなんだけど、こんなので笑えるほどみんな子供じゃないか。 

箸が落ちただけで笑える歳では無いわなぁ。

 

 

あと、会話すっ飛ばしているというか。

このニ行の間にもっとやりとり欲しいところ。

多分この場合、「誰とも通信できない」に反応してくれたんだろうけど、私は、そこはただの飾りみたいな感じで、スマホ忘れてきたことに反応してほしかったんだよなぁ。

でもそれは、私がそこをもっと説明するべきだったんだろうな。

「最近、財布も忘れて出掛けるし、ぼけぼけなんですよー。」って。

こう返ってくるだろうから、そしたらこう話そうじゃだめだよね。

伝えたいことは最初に全部きちんと話し切る。

 

 

最近、人と話すということについて考えすぎて自分のこと話せなくなってきたのも事実。

自分が発することで人がどんな気持ちになるかを考えれば考えるほどなにも喋れなくなる。

 

 

「話す」と「喋る」

は同じようで違うとも思う。

この辺、もう少し掘り下げていきたいところ。

 

ヒグチアイのライブに行った。

ヒグチアイのライブに行った。

今回はライブ編成。

 

 ライブ編成と弾き語りでは雰囲気が全然違う!

 

もちろんどっちも好き。

最前列だったー! 

そんなに広い会場じゃないし、全席指定だからまぁそんなに場所にこだわりはないんだけど。

 

 

私はこの人のなにがすきがって、私は私、あなたはあなたって思っているところかな。

それを伝えてくれるところかな。

あと自分の言葉で喋るところかな。

まぁ、みんな自分の言葉で喋ってるんだけどね。   

 

私、ライブにいってどんな表情をしているかっていわれたら、多分”無”なんだよね。

放心状態というか。。

一人になりに行っているのかも。

だから人が見たら怖いかもしれない。

 

ステージ上から見るとどう見えるのかななんて思ったりもする。

まぁ、誰にも関係ないことだけど。

 

 

前回のアルバム『最悪最愛』が出てもう2年も経ったらしい。

私、何年前にヒグチアイと出会ったっけ。

このアルバムは買ったからそれよりは前らしい。

忘れちゃうし気にしなくなっちゃうや。

 

今回のライブで歌った『東京にて』『mmm』で、ヒグチアイとの出会いの瞬間を思い出したなぁ。

あのステージの記憶はいつまで覚えていられるだろうか。

 

 

私も自分が発することは、自分が本当に思っていることだけにしたいと思った。

嘘も方便、おべっかとかもあるけど、できるだけ口にしたくないなぁ。

自分への嘘が積み重なっていくからなぁ。

でも上手くやるにはそれを持ち出した方が良いときもあるんだよねー。

だったらせめて、自分の歌いたい歌しか歌わないようにしよう。

と思った。

 

片道約1時間かけて、1人の時間を守りに行った。