私、やりかたを探すのが苦手だ。
と言うより、失敗が怖かったり正解を探しているから、選べない。
いっこいっここれは違う、できない、上手くできない、なんとなくできた。
って試していくしかないのに、その時間が勿体ないと思うところがあるみたい。
頭では、何事も無駄なことなんてない。色んな経験が色んな見方や視点をくれて色んな場所から穴を掘って中心にいける。と分かっているのに。
私は、早く結果にたどり着きたい。
考えるのは好きだけど、考えてもわからないことは答えをちょうだい。
っていう。
考えてもわからないのは、経験や知識や知恵が不足しているのだから、もっともっと勉強と経験が必要なのに。
そこをすっとばして出来ることなんてないのに。
このことは選択肢がありすぎたら選べない私の性質に直結している。
正解・より良い答えに辿り着きたいから吟味する。
下手なことを選んだら、また振り出しにもどって選び直しだと思っているのだ。
さっきも言ったけど、そんなことはないって分かっている。
その分の経験は絶対に自分を豊かにする。
器を大きくする。
分かっているのに分かっていない。
映画や本を選べないのも同じ。
それ見てつまらなかったら私の時間が勿体ないって思っているのだと思う。
パターン化しやすいのも同じ。
これを選べば得られる感情が分かっているから同じものを選ぶ傾向にある。
結果が分かってるから選ぶのだ。
それに最近は飽き飽きしていたけど。
同じ結果に行き着くことに飽き飽きしてきた。
たまにうまく行かない方法を、何回も試しているときがある。
自分の中では少し変えているつもりだけど、微細なところを操作しているだけで、大組みを変えてはいない。
人にこうやってみたら?
といわれて、あぁ、そう変えることが出来るんだ!全く浮かばなかった。私はずっと、微かな違いでやっていた。ガラッと変える視点がなかったとに気付くことが多い。
色んな物差しでものごとをみるのが苦手なんだ。
同じ穴を掘り続けて、ほんの少しだけ向きを変えて変わらないと嘆いているような。
じゃなくて穴を変えなきゃいけないんだと思う。
私は1人でなにかをする方が絶対にいい。
けど、1人でしていたら嫌になる。
人がいたら、相手のペースに合わせなきゃとか相手は楽しいだろうかとか思ったり、力量に怯んだりする。
だけど切磋琢磨する人や目指す人がいないと途中で気持ちがしぼんでしまう。
逆に私にあるものってなんだろう?
最近、ないもの探しが得意で、それが全くいえなくなっちゃった。
本を読んでいたら、こんな言葉があった。
『わたしたちはともすれば、自分は自分だと言えば、それが自分であるというふうに思いなしがちですが、それは違います。
わたしたちの自分というのはむしろ自分でないものによってしか語ることができないものです。
わたしたちの中にいる自分は、言葉を持たない自分です。
あるいは、言葉に表すことのできない自分です。
そうした無言の自分を、どんな言葉よりも雄弁に、もっとも的確に、もっともよく語ってくれるような親しい物、なじんだ物、懐かしい物、そうした物が何か。
それが、その人の、その人らしさそのものを顕すものであるということ。
ちょうど、死者があとに遺す形見とよばれるものが、その人のその人らしさを宿す物、その人の記憶をとどめる物であるように。』
だそうです。
親しい物、なじんだ物、懐かしい物なんでしょうか。
自分が確立してないから、誰も私のことを判断できないんだろうな。
私が私でいないから。