ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

わたしのこと

私は、「凌ぐ」とか、「なんとなく適当に」が苦手だ。

時間が解決してくれるものの、時間が経過するまでに、自分で動いてどうにか楽なところへいきたくなる。

なんともない時間が、実は何も得てないように思えて苦手なのだ。

その傾向が強くなる時もあれば、弱くなる時もある。

その傾向が強くなる時は、生活のどの部分でも満たされないとき。

弱くなる時は、どこかで何かが満たされているとき。

待てないということは、そのこと1つに囚われてしまっていて、気になってしまって保留にできないということだ。

 

最近、「そもそも交換日記」を少しずつ読んでいる。

蘭ちゃんが、自分はいつもなにかと戦かっている。

「もっとがんばるべきだ」「もっと成長するべきだ」と思ってしまう。

「鬼コーチ」を飼っていると書いていた。

 

私もそうだ。

 

「どうにか凌いでて」

と言われたとしても、適当にはできない。

野放しにされればされるほど、ひらめきというか、色んな事があれこれ浮かんでくる。

身体を動かしていると、浮かんでくる。机の上でこれどうしよう…?と考えていると全く浮かんでこないし、人がいると浮かんでこないのに。

あれやるのはどうかな、これもしたいな、一人では手が足りなく収集がつかなくなる。

結局時間が足りなくて、全部できなくて、なぁなぁになる。

意味なくすることが好きじゃない。心なくすることが好きじゃないのに。

どうせするなら、よくしたい、楽しんでもらいたい、喜んでもらいたい。

そういう気持ちがでてくる。

凌げない。目の前のものに、思いきり向き合ってしまう。

でも、誰にも何も言われないと、何が良くて、何が正解なのか分からなくなって、なんのためにやっているのだろう。と気持ちがしぼんでしまう。

人の喜びや楽しさが原動力になる。

 

だけどそれだけだと危うい。

どこかで誰かがストップをかけないと、どんどんだれかの反応を求めてあれこれしてしまう。

自分で「これができたからいいじゃない!」と称える力が必要みたい。

1つのことに囚われないことが必要みたい。

生活って様々なことで成り立っているから、何か1つで頭をいっぱいにするのはなんか違うよね。って最近思う。

色んなところから穴をほるような、たくさんのコミュニティに顔をだすような。

ここだけに注力するんじゃなく、全部の時間が私の時間と大切にしていきた。

 

気が付けば、1つの方向から掘り進めて行き詰ってる、1つの物をクローズアップしてしまうのが私の性質だから、たまに立ち止まって、角度を変えたり、引いてみたり、が必要。

忘れないように、誰かがずっと囁いてくれてればいいのにね。