ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

学ぶということ

私は人から習うということが苦手だ。

直接的に教える、教わるの関係が苦手だ。

私が人の姿をみて自分の感性で勝手に学ぶ方が得意だ。

かといって、本だけでは理解はできるけど、想像することや自分のものにはできない。

なので生身の人に教えてもらうに限ると思っている。

 

教わる、教えるの関係は…

教える人は、自分のこうだ!を必死に伝えようとしてくれる。

教わる人は、必死に受け取ろうとするけれど、まずコミュニケーションから理解が難しい。

教える人は、知っていること、できることだから感覚も言葉もすらすらとでてくる。

教わる人は、できたことがないから、どれができたことなのか分からない。

聞き取る言葉も想像上でしかないから、言葉と様子が結びつかない。

聞いた言葉が自分の想像とあっているのか。それをまた言葉をし直すのも時間がかかる。

よって何をしても自信をもてない。

感覚的なものはすべてそう。

人の感覚を感じることができないから、このくらいの強さでっていわれてもどのくらい?ってなるし、お腹を膨らませてといわれてもどのようにが正解?ってなる。

正解が結びついていないまま、はい次、はい次と別のことを言われるので、なにをどうしたらいいのか混乱して結局何もできなくなる。

最初よりなにもできなくなる。

 

学ぶというのは自分で気づいたとき、感じられたときにはじめて自分のものになる。

なかなか時間がかかる。

 

 

歌を習っているけれども、学ぶために興味のない聞いたことのない曲を覚えることはできないんだなぁと実感している。

好きなことしかできない、やりたくない人間なんだな。

じゃないと心を込められないから。

 

先生が、食わず嫌いは良くない。

とか

あんまり歌わないような曲にヒントがあるかもよ。

と言ってくれるんだけど、どうもそこに行きつかない。

歌いたいから歌うわけであって、練習のための曲というのが自分の中で腑に落ちない。

これが私の悪いところ。生活のすべてがそんな感じ。

好きなことと嫌いなことがはっきりしていて、興味があることに気持ちの入れようは凄いけど興味ないものは視界にもいれない。

色んな事にヒントがあるのは分かってるけど、ものごとに対して素通りみたいな関係にしたくないんだよね。

これはほんと、少しずつだ。

少しの時間でも新しいものを取り入れることをしていくに限る。

 

 

あと、先生を自分で選ぶことができるのだけど、同じ人にずっと受けるか、色んな人に受けるかどちらがいいんだろうと悩んでいる。

ジムのパーソナルを受けた時もそのシステムで、結局どっちがいいのかわからないまま解約した。

同じ人の場合、前回からの流れができていて継続的なイメージ。前回はここまでできているから次はこれをしようと段階を踏める。

が、1つの考えに偏ったり、その方のやり方しか身につかない怖れ。マンネリ化する怖れ。

違う人の場合、色んな角度から自分を知れる。いろんなやり方を知れる。

が、毎回単発な感じ。毎回1からというような感覚。

私は色んな情報を一気に入れることが苦手だから同じ人の方がいいけど、まず誰を何を信じるか。1つの考えを信じすぎることも怖いなと思う。

1つ1つクリアしていくことが性には合っているんだけれども。

 

誰かが変えてくれるわけではなくて、ヒントを教えてくれるだけなので、あとは自分次第ということ。

学ぶことは時間がかかる。

根気強く、だけど思い詰めすぎず、気長に楽しくいきたいものです。