ordinary day

思ったことを気ままに。自分を構成するものとは。他者とは。旅や自然。

どんなときでもそこに居てくれるたった1人の存在。

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何年も生きてきたから、自分で生活には波があることを知っている。

孤独が大きくなるとき小さくなるとき

上昇しているとき下降しているとき

人と会いたいとき1人になりたいとき

外に出たいとき内に籠りたいとき

誰もがこんな風に二極化していると思う。
それは外的要因に左右されるときもあれば内要因に左右されるときもある。

内的環境は、人には言わなきゃわかるはずもなく、かといっていちいち人に言うわけにもいかなくてみんなみんな、がんばってるよなぁ。と思う。


そしていま、私はその波が下降中で、最早下がりきっているかもしれない。
孤独が強い。
結局1人なんだ。自分が自分を守らなきゃ、保たなきゃ。
「周りがみんな敵」
とはすこし言い過ぎだが、それに近いような感覚だ。
こーんなに周りに人がいるのに…
大抵の人は自分が向かっていけば応えてくれるのも知っているのに…

「大勢の人がいて ほとんど誰の顔も見ない
生活は続くから 大切なことだってあるから」
BUMP OF CHICKEN/ディアマン)


そんなとき、無性に音楽が聴きたくなる。
別に励まされるとか孤独を感じなくなる訳じゃない。
ただただ、そこに居てくれる。私と音楽のやり取り。
離れても近づいてもこない。
近すぎず遠すぎない。
勝手に自分で距離感を決められる。
それがありがたいのだ。

「その声とこの耳だけたった今世界に2つだけ
まぶたの向こう側なんて置いてけぼりにして」
BUMP OF CHICKEN/ディアマン)

置いてけぼりにされているのは自分かもしれない。
けど、自分が置いてけぼりに”している”と言ったならそうなのだ。



弱音やしんどさを自分が口にして人に話してしまうと、ますますそっちに気持ちが引っ張られてしまいそうで、そんな日々のとき、私は弱音が吐けない人間。
自分の中でここまで来たら大丈夫という所か、全て終わったときに、
「あーしんどい。聞いてよー。」
と初めて自分の口から人に吐き出すことができる。


月曜の朝のサラリーマンみたいな顔(みんながみんなそうではないだろうけど)をして生きるなんて嫌と思っていたが、今、端からみると私はそんな顔で電車に乗っているかもしれない。


そんな孤独な真っ最中に、温度を変えずそこにいてくれるたった1人の存在”音楽”にも救われる日々を過ごしている。