ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

恋とか愛とかなんなんだ。

  

恋とか愛とかってなんでしょう?

 

そういう気持ちになったことがないわけではないと思うけど、なんだか自分の中で確信が持てないというか…

そこまでこの人じゃなきゃという思いに駆られたことはない。

一般的に好きだから付き合うという流れだけれども、別に嫌いじゃないしどちらかと言えば好き寄りだけど付き合うまではいいかなって思うこと多いし。

好きだなぁと思っても恋愛感情かと聞かれたらよくわからないことも多い。

恋愛を絶対しないと生きていけないわけじゃないし、逆に恋愛体質と呼ばれる人もいる しこれもまた不思議。

 


人を好きになる(恋愛感情)ことは本能なのか。

子孫を残すことは確かに本能的にあるものだと思うけど、 感情的な部分ってなんだろう。

「恋とか愛とかじゃない好き」と「恋とか愛とかの好き」はどう違うのか、異性の好きと同性の好きとどうちがうのか。別にどうも違わないんじゃないかと思っている。
異性との恋愛だろうが同性恋愛だろうがどっちでも良いのだが、ただ、それをどの時点で恋愛対象としての好きと気が付くのか。
それが私には不思議な部分でちょっとわからないのだ。

 

人を好きだなぁと感じる瞬間は生きてきていくつもある。
尊敬、心地よい、馬が合う。
一緒にいたい。何度でも会いたい。話を思わずしたくなる。話を聞きたい。
少ないけれど、そんな風に思える人が周りにいる。
それは「好き」なのだ。
人として魅力的なのだ。
だから別に私は男だろうと女だろうと好きな人は好きだ。好きだから長年繋がっていられる。それは言い切れる。
だけど異性が好きだから恋愛感情とは言い切れないでしょ?と思う。

同性が好きだから恋愛感情ではないとは言い切れないでしょ?と思う。

 

基本的に動物学的に(?)男は女を女は男をそういう対象とみる本能(?)が備わっているのか?

基本的に、男が男に女が女に対する接し方と男が女に女が男に対する接し方は本能的に変わってしまうのか。いわゆる色目を使うってやつ。

はたまた恋愛感情は単なる思い込みなのか?


誰か教えて。理屈じゃ説明できない部分なのだろうか。

私に分かるときがやってくるのだろうか。

 

 

恋愛がしたいというわけではなくて、人として好きだと思う人はいるけれどそういう類の好きとは違うのか、純粋によくわからないなぁという話。