言葉はさまよう、ゆらゆらと。
どこかのだれかの意味という場所にはまるために。
ある時はぽとりと落ちてしまう。
ある時は枝分かれするようにぐんぐん広がっていく。
昔から言葉が好きだったと思う。
小学生の国語の教科書に出てくる詩、短歌、物語。それを読むと自分の中に何かが積もっていくような、自分の中に何かが投下されたような。そんな感覚だったと今では思う。
初めて自分で好きになったバンドも歌詞にすごく惹かれたんだった。
私は言葉を通して人を感じる。言葉が見えないその人を私の中にいろんな姿で映し出してくれる。
言葉が私の中にその人を残させる。
言葉がもつ力は強さがあるけど、見つからなければ、意味を見出されなかったら完全なる「無」だと思う。
最近すごく、自分の伝えたいことを言葉にできないもどかしさを感じる。
自分の想いを言葉にできなもどかしさもある。
私の感じている感情が複雑でごちゃごちゃで、それを表す言葉がこの世に存在していないようにも感じる。
「綺麗」とか、「楽しい」とか「辛い」とか「甘い」とか、そんな総合的な単純な言葉では伝えきれない部分。
その部分を伝えられない。
「着飾った、裕福な女王様」と「そっけなくてクールで少し不器用な王様」
これは、私がある2つのものを食べたときに、どうこの微妙な差を伝えたらいいかと考えて浮かんだそれぞれのイメージを言葉にしたもの。
さすがにこれを人には伝えなかったけど、それを食べてこの違いを伝えるための言葉は、これだと思った。こっちの方が少し甘くて濃厚でとか、そんな言葉じゃなくて、この微妙なニュアンスを伝えるにはこんな表現だと思った。
これで私の伝えたいことが伝わるとは到底思えないけど。
言葉って、「ある」ようで「ない」そんな不確かなものだと感じる。
中学からの付き合いの彼がいる大学生の女の子はその存在を
「毎日朝ご飯を食べるような感じ」
と言った。
ある友達が
「月がぽわぽわしてる」
と言った。
なんだか好きだなと思った。