細胞や大きな骨や肉のかたまりに覆われてしまった人の気持ちは見えない。
例えそられがなくなったとしても見えることはないのだけれども。
ある時はそれを必死に見せようと、出そうとする。
ある時はそれを隠し通そうとする。
ある時は出そうと思ったのに引っ込めたりする。
あぁ、見えないものを信じるってなんて難しいのだろうと思う。
見えないものを見たいと思うのはいけないことですか。
見えないものが見えないと嘆くのは弱いですか。
見たいというのは暗黙のルールを破ることですか。
大切な存在が離れてしまうかもしれない。そんなできごとがあった。
私にとって、大切な大切な存在。
私はどうしたらいいのかわからない。自分のことだけなら、自分の思うままに動けばいいのだけれども、相手の気持ちがあるからそう簡単には動けない。
私はそういう人間だった。私だけのことにならある程度は強い。けど、誰かがそのものごとに介入すると私は弱い。誰かの気持ちが入ってくるから。誰かの気持ちなんてほかの人にはわからないから。
私はよく、ものごとは全てタイミングだと思うだなんてことを言ってきた。
タイミングが合わなかったらそういうものだったってことだし、今はその時じゃないってことだしなんてことを言ってきた。
だけどいざ自分が、タイミングを逃してしまったと気づいたとき、諦めきれなかった。けどどうにもできなかった。気付いたときにはもう過去のこととなっていた。
戻りたい。もう一度あの時をやり直したいとおもった。これだけはこんな風に仕方がないと思えなかった。
本音と建て前なんてくそくらえだ。
私はその人の何を見ていたんだろう。
なんにも見えてなかったのだろうか。
私も相手もきっと傷ついた。きっとどちらも悪くてきっとどちらも悪くない。
自分のことだけしかわからない。
見えない。