ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

自覚する。言葉を信じる。

日々の生活の態度、癖が自分になっているんだなと改めて思ったこと。

 

ゆっくり、ゆっくり、私はこの本を読んでいる。

「発声と身体のレッスン」

 

この本は、全てのレッスンにおいて、身体に変な力みが入らない状態で、その状態から取り組んでいくゆっくりゆっくり、焦らず、楽しみながら。ということが大前提。

力んでやって、それを身体が覚えてしまわないように。

 

 

はぁ~そうか。と耳が痛くなった活舌についての項。

(ここからは自分のための要約です)

 

まず、活舌が良くない人は、『子音が溶けている』『発音がクリアでない』場合がほとんど。

 

 

活舌が良くない理由

 

1、身体機能そのものの問題

 

2、単純に「言葉」を喋る訓練が不足している

アナウンサーになる時みたいな特別な訓練ではなく、日常的に『クリアな発音ではっきりと言う時間が圧倒的に少ない』という意味での訓練。

心知れている友人同士だと、お互いの発音や言葉を知っているから、不明瞭でも問題ない。こういう人は言葉が短い人。

逆に、人は、初対面の人、目上の人、大勢の人の前で話すとき、大切な話をするとき、言葉を大切にクリアに扱い、きちんと伝えようとする。

そういう経験が少ない人、単語の羅列で生き延びてきた人=大切な言葉を上手く話すことができない

 

3、一度も大切な話や重要な話をしたことがない人

ずっと人について言うことを聞いて生きているだけの人、自分の本心を隠して周りに合わせて生きてきた人は、子音は溶けたまま。

→人に重要なことを伝える必要がないから、クリアに言う必要はない。

はっきりと言葉を言うことに自分でブレーキをかけている。

こういう人は練習しても変わらない。

それよりも、自分の気持ちを伝えたいと決心して、うんうんうなりながらも話す方が活舌はよくなる。

その場の雰囲気に任せて、ぺちゃくちゃ話すことは簡単だが、「ほんとうは、こんなこと、したくないんだ」と本心をちゃんと語ることは勇気が必要だから。

 

4、言葉を根本の所で信用していない場合

人は、人となんとかコミュニケーションをとろう、人にどうにか伝えたいと思って努力する時に言葉と出会う。

その過程で、溶けていた子音はクリアになっていく。

しかし「言葉なんて本当は意味がない、関係ない」と心の奥底で思っている人は、活舌はよくならない。

そういう人は、伝えたいときに、言葉で伝えて解決しようとせずに、泣いたり、黙ったり、笑ったり、離れたりする。

活舌にとっては全てマイナス。

言葉を信用していない人は、言葉にすることを最初から放棄する。

そうすると、何が見えて、何が見えないか、分からないまま終わるだけ。

 

「言葉はもちろん、全てではありません。だけど、言葉をぎりぎりまで話すことで、言葉にできないものがやっと見えてくるのです」

「とりあえず、言葉を信用してみませんか?」

 

 

耳は痛いけど、胸は痛くない。

そういうこともある。

言葉にする努力、伝える努力、まずは、自分の気持ちはこれだと持っていなきゃ言葉にも変換できない。

言葉にする以前に、自分の気持ち、意志をどんな場面でも誰といても、自分に問いて自覚しておくところからかな。