日々の生活の態度、癖が自分になっているんだなと改めて思ったこと。
ゆっくり、ゆっくり、私はこの本を読んでいる。
「発声と身体のレッスン」
この本は、全てのレッスンにおいて、身体に変な力みが入らない状態で、その状態から取り組んでいくゆっくりゆっくり、焦らず、楽しみながら。ということが大前提。
力んでやって、それを身体が覚えてしまわないように。
はぁ~そうか。と耳が痛くなった活舌についての項。
(ここからは自分のための要約です)
まず、活舌が良くない人は、『子音が溶けている』『発音がクリアでない』場合がほとんど。
活舌が良くない理由
1、身体機能そのものの問題
2、単純に「言葉」を喋る訓練が不足している
アナウンサーになる時みたいな特別な訓練ではなく、日常的に『クリアな発音ではっきりと言う時間が圧倒的に少ない』という意味での訓練。
心知れている友人同士だと、お互いの発音や言葉を知っているから、不明瞭でも問題ない。こういう人は言葉が短い人。
逆に、人は、初対面の人、目上の人、大勢の人の前で話すとき、大切な話をするとき、言葉を大切にクリアに扱い、きちんと伝えようとする。
そういう経験が少ない人、単語の羅列で生き延びてきた人=大切な言葉を上手く話すことができない
3、一度も大切な話や重要な話をしたことがない人
ずっと人について言うことを聞いて生きているだけの人、自分の本心を隠して周りに合わせて生きてきた人は、子音は溶けたまま。
→人に重要なことを伝える必要がないから、クリアに言う必要はない。
はっきりと言葉を言うことに自分でブレーキをかけている。
こういう人は練習しても変わらない。
それよりも、自分の気持ちを伝えたいと決心して、うんうんうなりながらも話す方が活舌はよくなる。
その場の雰囲気に任せて、ぺちゃくちゃ話すことは簡単だが、「ほんとうは、こんなこと、したくないんだ」と本心をちゃんと語ることは勇気が必要だから。
4、言葉を根本の所で信用していない場合
人は、人となんとかコミュニケーションをとろう、人にどうにか伝えたいと思って努力する時に言葉と出会う。
その過程で、溶けていた子音はクリアになっていく。
しかし「言葉なんて本当は意味がない、関係ない」と心の奥底で思っている人は、活舌はよくならない。
そういう人は、伝えたいときに、言葉で伝えて解決しようとせずに、泣いたり、黙ったり、笑ったり、離れたりする。
活舌にとっては全てマイナス。
言葉を信用していない人は、言葉にすることを最初から放棄する。
そうすると、何が見えて、何が見えないか、分からないまま終わるだけ。
「言葉はもちろん、全てではありません。だけど、言葉をぎりぎりまで話すことで、言葉にできないものがやっと見えてくるのです」
「とりあえず、言葉を信用してみませんか?」
耳は痛いけど、胸は痛くない。
そういうこともある。
言葉にする努力、伝える努力、まずは、自分の気持ちはこれだと持っていなきゃ言葉にも変換できない。
言葉にする以前に、自分の気持ち、意志をどんな場面でも誰といても、自分に問いて自覚しておくところからかな。