ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

BUMP OF CHICKENのライブにいってきた。※備忘録

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2年ぶり?のツアー、BUMP OF CHICKENのAurora ark に行ってきた。

最近のBUMPは活動的だから、2年もツアーをしていなかったとは逆に驚き。
そんなに離れている感覚なかった。

すごい、良かった。
前回のツアー、PATHFINDERでは正直感じなかった感情が戻ってきた。
もっともっと昔に感じていたような感情。
それは、私も彼らもドームという会場での公演に慣れてきたのもあるかもしれない。

ここ最近は、一時より距離を保っていて、情報もあまり追えてはなかったんだけど、やっぱりBUMP OF CHICKEN好きだなぁ。温かいなぁ。


曲と曲の合間ででベースのちゃまこと直井由文
「みんな、楽しんでる?僕たちも楽しんでます!今日をすっごい楽しみにしてたんだよ。わかる?分かんないだろうなー。あーあ。僕たちが今日をどれだけ楽しみにしてたか君たちは一生分からないんだろうなー。」
と。
そして最後にボーカルの藤くんこと藤原基央
「さっきちゃまが、僕たちがどれだけ楽しみにしてたか君たちには分からないって言ったけど、この会場でこのメンバーでライブが出来るのを本当に楽しみにしていました。普段僕たちは今日と同じような明日が当たり前に来ると思っているけど、明日も今日と同じように生きてるとは限らない。もしかしたらこの会場を出てすぐ車にひかれて死んじゃうかもしれないし。僕だって明日生きているかは分からない。多分生きてるんだけどね。そういう気持ちで一回一回全力でやっています。」と。
これは結構うろ覚えで私が作り上げた言葉もあるだろうけどこんなことをいった。
それを聞いて、あ、私明日も来なきゃ。いつでもBUMPがいてライブをやってくれて私が行けるなんて当たり前に思ってたらだめなんだ。
そう思った。
この時点でチケットは持っていなかったけど、京セラは結構チケットが余っているみたいだったし、帰宅しながら急いで探した。

1日目のアンコールの一曲目が、
『リトルブレイバー』だった。
なかなかの初期の曲で、私がライブで聞くのは初めてだと思う。

ボーカルの藤原基央はこんなことを言った。
「この曲は僕が10代の頃に書いた曲です。この頃は今と全然違って、ライブをしても数える程度の人しかいなくて。そんな中、大阪でも聞いてれてる人がいるってのを知って…じゃぁ、大阪に聞いてくれる人がいるんなら、僕のいったことのないまちで聴いてくれる人が1人でもいるんなら行こうよって。その時は車とか持っていなかったから友達のハイエースに乗っけてもらってきました。それが僕の初めての大阪です。あの頃とは違う音なんだけどその大阪で待っていてくれる、この曲を待っていてくれる人がいる。今日はそういう明確なイメージをもって曲をやりました。
あの頃とは全然違うのは、今は、大阪にきいてくれる人がいて、待ってくれる人がいる。それを確かめることができました。
反応をちゃんと返してくれて…ちゃとんとみんなの反応から伝わってきたよ。あぁ、あの大阪でこの曲を聴いてくれている人がいるんだな。この曲を待ってくれてた人がいるんだなって。感じることができました。
どうもありがとう」

私に曲の1つの1つに物語があるように、産みの親、彼らにだって物語が当然ある。
それを知りうることができて、本人の口から聞くことができて本当に嬉しかった。
雑誌とかで語られることはよくあるけど、直接聞くのは全然違う。
嬉しかった。
それは2日目のこの言葉と繋がる。

「自分に自信のある人もそりゃいるんだろうし。それはいいと思うんだ。だけど君たちの中には自信のない人だっていると思うんだ。というか僕たちの曲を聞いてるってことはそういう人の方が多いんじゃないかな?笑 僕がそうだから。

君たちは、ほら、ラジオで聞いたとか有線で流れているの聞いたとか友達からCDかりたとか、どうやって出会ってくれたのかしらない。
君たちの人生の何分か何十分か僕たちは君たちがどんなふうに曲と過ごしてきたのかは知らないけど、その背景を物語を僕たちが知ることができたら号泣することができるほどなんだ。それほど僕たちにとって君たちの生活には価値があるんだ。

またこれからそれぞれの日常に戻って。おれもなんだけど。
明日は仕事だとか学校だとかアルバイトだとか、なんもなくて色々考える日だとかあると思うけど、今日の続きなんだよ。
今日はライブというイベントで、日常の中のライブという1つのイベントで、君たちにとっては日常の中の一瞬にしかすぎないんだろうけど、人生の中のほんの数時間なんだけど、ここへ来て君たちが、あぁ、人生捨てたもんじゃないなって思ってくれたら嬉しいです。

また曲作るから、そう思ってもらえるようなライブするから、もしよければまた僕たちに時間を貸してください。」

と。

途中でも
「さっき、目悪いからなんもみえないって言ったけど
お前ら、自分が何万人のうちの1人とか、たった1人くらいなんて思ってんじゃねーだろうな?きこえるかー?お前に向けて歌ってるんだよ」

彼らこそ、私たちリスナーの日常を知ることはない。彼らこそその切なさを一番感じてるんじゃないか。
まだ半信半疑だけど。
自分1人くらいって私はやっぱり思っちゃうけど。
だって、BUMPだって「自分のために歌われた歌などない」って昔歌ってたもんね。笑

失礼を承知で、でも大体のリスナーは知っていると思うけど、彼は一般的な世の中的な分類でいうと、根暗というかネガティブというか、そうだと思う。
だからこそなんだよねきっと。

昔の曲も何曲か織り混ぜたセットリスト。
望遠のマーチや新世界やButterflyやアリアはかなりライブで表情が変わる曲だと改めて
思った。
いや、本当に最高。


はぁ。だけど、そういう彼らの曲を聴く私だから思うんだろうけど、そんな無責任なこと言わないでくれー。これからの生活が苦しくなるから、君たちの生活に価値があるとか言わないでくれー。日常と呼ぶ世界ではそんなこと言ってくれる人なんていないから。余計に日常と呼ぶ世界が苦しくなるじゃないかー。
そんな言葉を残されてお別れなんて無責任じゃないのか。

ライブが終わってしばらくは、電子機器からの音じゃ物足りない。
けど、やっぱりイヤホンをする。いつもより音量を上げて、完全に音楽と私だけの世界を作ってしまう。
余計に世間をシャットダウンしてしまう。
そんなの彼らは望んでいないだろうな。

こんなにも言っているけど、
私は意外にも昔ほどライブは夢のような時間だとか言って日常と呼ぶ世界と区別をあまりつけなくなった(つもり)。
彼らに会って伝えられることができるなら、色んな思いを伝えたいし曲の物語や出会いを伝えたいけど、そんなことあり得ないと分かっているから、このステージと私たちの客席を隔てる距離は正解だ。
届けられるものに時々支えられてきたけど、もし彼らがいなくなっても私はどうにかして生きていくだろう。深い傷を負ったとしても。
それはあちら側も同じ。まぁ、あちら側は私の存在を知る由もない。
私まだ自分も彼らも信じられてないのだろう。
存在は認めるし、同じ時代に生きて、音楽を介して出会えた。
けど、彼らの音楽は私の人生では彩りを添えてくれる存在で、メインにはならない。のしかかりすぎたら駄目なんだ。
たまにこんな風に同じ空間で彼らの生の曲、声が、音、会話、垣間見える日常。
変わらないね。と微笑ましく見守る。程度がいい。私も変わらないよ。と。心の中で唱えるくらいは許して貰おう。

なんてことばかり考える。
明らかにライブ後症候群なだけ。

ライブ中でさえふと立ち尽くして周りを傍観しているような、私だけ違うところからみている。そんな感覚に陥るときがある。
楽しむと同時にライブは哲学だ。
あと何回彼らのライブに足を運べるだろうか。


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