整理をしていたら出てきた1枚の葉書。
6、7年前のものかな?
BUMP OF CHICKENのライブのチケットを1枚譲ってもらい、隣でライブを一緒に過ごした方から年賀状として送られてきたものだった。
その方とはその時が初めましてで、それ以外に連絡を取ることはなかった。
その葉書が年明けに送られてきて驚き、嬉しかったことは覚えている。
あれだけの時間の共有だったのに、しかもこっちが譲ってもらったにも関わらず、葉書1枚にぎっしりと言葉が綴ってあった。
私はいそいそと返事を書いた。
もうそのアカウントは消しちゃったし連絡先も何一つ残っていない。
雰囲気はなんとなく覚えている。
その人がどんな人で、どんな性格で、どういう暮らしをしていて、どんなことを軸にしているのか、何一つしらない。
そういう人同士でも何かを残すことができるんだ。
その時の私はその言葉や行為を純粋に嬉しく受け入れたのかな。
これをみて感じたのは、絶対に損得勘定が含まれないような、まっさらな気持ちや行為さえも信じて受け入れることができないんだななぁ。ということ。
だから歩み寄らなかった、繋がらなかった関係がたくさんあるのかな。
無下にしているというか、飛んできた色々を弾き飛ばしているかんじ。
失礼な話だよなぁと思った。
もっといろいろを信じたいなぁ。
その欠片がいくつか部屋にちらほらと。
それは残した方が良いものなのか、忘れた方が良いものなのか。
捨ててしまっても、事実は無くならないし、私の何かしらの一部にはなっているけど、きっかけとなる物が失くなると思い出すこともなくなるのかな。
この歳で既に、忘れていくことばかりだと感じる。
抗おうとは思わないけど、もっともっと年を取った私はなにを憶えているんだろうと思う。