ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

自分で選ぶということ

ヒグチアイさんが取材して編集して作られた雑誌、

 

『うふふ

 生き抜く力と息抜く言葉』

 

第1回に

「働く女性にインタビュー

わたしのしあわせ」

というコーナーがある。

 

「レアな職業をしている人を探しています」という誘い文句に連絡をくれた人にインタビューをしたもの。

 

42歳の教育系会社社長のインタビューの言葉にこんな一部がある。

 

Q,「結婚についてはどうおもいますか?」

A,東日本大震災が起きて、どっぷり復興支援に入っていったんですけど、そのときに自分の人生は結婚とか出産ではないな、と決めたんです。そう、あれは、決めてしまった感覚だった。

あの時選ばなかったんだったら、本当に欲しかったものではないのかもしれないな、と。

今やらなきゃいけないことを選択した、という明確なタイミングがあって、結婚とか出産を優先しなかった自分を認識しちゃったというか。

今でも迷ったりするときに、あの時選択したからな、と思えてしまう。

正しい正しくないじゃなくて、選択したという事実がそこにあるだけ。

例えば、今、わたしに子供ができたとして、そのときにどう思うかはわからないけれど、これからも自分がやりたいことをやる人生だろうな、とは思う。

自分はそういう人だ、という感覚をもってしまったんですよね。

(一部抜粋)

 

かっこいいと思った。

そして思い出した。

とある男性が、今36歳。子供が好きだから子供が欲しい。

子供が成人するときに60がギリだと思うから、40までには子供が欲しい。

だからと言って誰でもいいわけでもない。

と婚活を頑張っている宣言をしていた。

 

その男性の話を聞いたり、雑誌の言葉をみたりする前の私は…

付き合うと結婚ってなにが違うの?家族同士のお付き合いになるのは確かだけど、結局は2人の問題だし…みんなは付き合いたい人と結婚したい人は違うというけど、本当にそうかな?と思っていたけど、

付き合うと結婚よりも、境界線は子供がいるかいないかだなと思うようになった。

そして結婚には子供が欲しいか欲しくないかの価値観もとても大事なんだとも。

いくら好きな人とはいえ、子供が絶対に欲しい人と子供はいらない人とでは同じ方向には歩めないのでは、と。

子供となると、身体面、金銭面で年齢は確かに考えないといけないから、そちらを選ぶ人は、焦るように婚活をし始めるのか。納得。

そんな私も結婚して子供がいても別におかしくはない歳ではあるけれども。

私は何を選ぶのだろう。

かろうじて、結婚はぼんやりと。子供は全然みえない。

しかも結婚にとらわれるわけではなく、この人と一緒にいたいと思える人と一緒にいたいだけなのかもしれない。

それが結婚という形なら・・というイメージ。

 

 

雑誌の女性はわたしは出産ではないと選んだ。後者の男性は子供を選んだ。(正しくは選んで活動中。)

どちらもかっこいいのは、自分で決めて、選んで胸を張って堂々と言えること。

私も何かを選んだら、もっとそれに対して前のめりになるはず。

今の生活、選んだように見えて、選んでいない。

ただ、続けているだけだ。

選んだけれど、ところどころで点検していなかった。

 

この記事に至っては、結婚に限らず「人生は選ぶことの繰り返し」ということを叩きつけられた。

自分で選ぶものだった。それはいたって普通のことだった。

自分の人生にしか責任は持てない。

と前々から思ってきたのだけど、それは

=自分で選び続けることだ。

=選び直せるということだ。

 

 

この雑誌、好きな人がインタビューも編集もしているから、読んでいて楽しいしかない。変に分厚くないから気持ちよく読み終える。

更に、いろんな人の物語が読めるのが楽しい。

普通に生きていたら出会うことのない人の顔も知らない人の人生を好きな人という媒体を通して知れる。

不思議な気分。

今度はvol.2発売みたい。

楽しみ!!