人は1人でなければ、自分ではいられない。
バランスは大事だ。
1人でいる自分も、誰かといる自分も大事。
誰かといると、安心する自分、普段踏み入れない世界に触れる自分、人のために動きたい自分、聞いてもらいたい自分、甘えたい自分、いろいろある。
ずっと誰かといたら、私が奥に奥に追いやられていく。
なにかを決めるときに相手の意見を尊重すること。
歩く歩幅を合わせること。
歌いたい私が歌えないこと。
自分の見たいもの聴きたいものを遠慮すること。
時間を合わせること。
誰かと過ごすとはそういう風に思える。
どちらもなにかを合わせている。
なんとかバランスをとっている。
そんなの、毎日毎日続かない。
いつかどちらともなく不満が募ってうまくいかなくなるだろうな。
そう考えると、家というのは大きな空間があり、壁と扉でその空間を隔てるというのは役割としてとても大事なことなんだな。
誰かと暮らすということをもう長い間していないけど、私にはやっぱり息苦しいかも。
たまにが丁度いい。
たまに実家に帰る、たまに誰かが泊まりに来る。
そのくらいがちょうどいい。
「歩幅」
私はいつから目的地に行くだけのために歩いていたんだろう。
家から駅まで。駅から職場まで。駅から家まで。
行くために。帰るために。
歩いている。
緩め方を忘れてしまった。
もう1人の私がつまらない人間になったな。
と冷たい目。
歩くことの楽しさを知っていたあの頃のわたし。
鳥の声、花をみる、木々の揺れ、空の青さ、流れるくも、匂い、影、瞬く星、ライト…
ほんとは知っている。
知っているんだ。