ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

長雨

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ひたすら雨が降り続く。

昨日は仕事にいった。でもお客さんはいつもの半分以下。当たり前だ。

私はひたすら作業をする。だけど、私はなにやってんだろう。という気持ちになった。

こんな時にこんなことをしている場合なのか。こんな時じゃなくても最近よく考える。

私は、いったい何がしたいのだろう。

毎日仕事に行く。どうも、何かが違う。気がする。私がしたいことなのだろうかこれは。ひたするもやもやした気持ちで取り組んでいるのはなんでなのだろうか。なんのためにしているのだろうか。

最近、私はここにいることが正解なのかわからない。本当にわからない。何度も問う、なんのためなんだろうか。

 

そんなもやもやで後にする職場。帰りのJRが止まっていた。


私は、徒歩1時間あれば帰宅できるからなのか、(普段余裕があるときは歩くこともあるので)気分は悪くならなかったし、雨風強いけど歩いて帰ろうって、こんな日もたまにはいいよね、こんなことおあるよねって思った。
靴がべちゃべちゃで気持ちわるかったくらいで、なんだが逆に気分が晴れた。職場にいるよりも。

 

駅では困り果てている人、うんざりした顔の人、近くの飲食店ではとりあえず時間をつぶしている人。そんな人が見受けられた。

商業施設は電気が消えていて営業してない状態。駅員さんは改札前で対応を行っている。

私たち人間の営みってなんなんだろう。こういうときよく感じる。

 

歩いている最中、家族や前の職場の人から心配の連絡がとどく。

最近はすっかり忘れていたけども、そういえば私も誰かの中に生きていたんだなと他人事のように思う。

そして私はこんな中、人の心配をしない自分に気付いてがっかりした。

 テレビもネットも見ないため、情報があまり入ってこない。だから、どれだけ大変なことになっているか知らなかったのもある。本当に自分の世界でしか生きていない人間だとつくづく感じる。それが良いか悪いかは別として。

ようやく事の重大さを理解し、親しい友達に連絡をしてみる。

心配してくれた人からは温かい気持ちを受け取った。そしてもちろん心配し返すけども、それが本当に自分の心から湧き出た感情じゃないことを自分ではわかっている。

 そのうさんくさい自分のことばにうんざりする。

 
ことばは嘘をつく。
ことばはことばであって、伝える媒体、何かを言い表すものであって、嘘も本当もないのだけれども。
みえないものを言語化するという行為自体が不確かで脆く危うい。
ことばというのは、見せるために使うのか、取り繕って隠すために使うのか。

私のことばはどっちだろう。

あの人のことばはどっちだろう。

 

 

今日は、あまりの雨により、仕事はお休み。それでいいと思う。

そんな私の大事な1日を、家で何もできずに過ごしている自分にうんざりする。

この状況で外に出ようとは到底思わないし、本を読んでても音楽を聴いてても外を眺めてても寝ようとしてもなんだが気持ちが入っていかない。

 

今日は七夕だったなぁとふと思い出す。あまり関係ないことだけれども。

週明けは晴れマークが並んでるので少しほっとする。