ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

突然の空しさ

最近思う。
人間関係において、○○してくれるから好き。
優しいから好き。
というのは、その人のその部分しか受け入れてないということ。

自分に対して優しく接してくれるから。
というのは、本当のその人を見ていないのと同じ。
○○してくれるからは、ただの損得勘定。
そうだとしたら○○してくれないあなたはいらない。となる。


そもそも人は、いつでも親切ではいられない。
体調が悪いときもあるし、気分が上がらないこともあるし、嫌なことがあって人と話したくなくなるときもある。
そんなとき、当たり前のことすらやる気が出ずにできなくなったり、口を噤んでしまったり、受け答えも素っ気なくなったりしてしまうだろう。
いつも優しく、穏やかに、親切にはいられない。


だけど人って自分に優しく接してくれる人が好きなのでは?違う?
自分を傷付けない人の側が心地良いに決まっている。
当たりの強い人より物腰の柔らかい人の方が落ち着くのでは?





「感情=人 ではない」

といつの日か誰かに聞いた。

そうか。
とその時は納得したように思う。

イライラしているその人がその人ではない。
気分が上がっているその人がその人ではない。
落ち込んでいるその人がその人ではない。

言われてみればそうなのだけれども…
じゃぁ人ってなんだろう。

どういう時のことを、その人とみなせば良いのだろうか。
感情がない状況なんてあるのかな?

感情や思考の行き着く先は、一人の人間で大体決まっているから「感情=人ではない論」もどうとらえたら良いか分からない。


私って1人の人をちゃんと見てないんだなぁ。
きっと。
優しいから、何にも言ってこないから、否定しないでくれるから…ってなんて薄っぺらい。
そんなの嫌な人間だ、と思いながらも、無意識のでは人を損得勘定で見てるのかもなぁ。
と、突然の自己嫌悪。





人の反応をどう受け取るかもまだうまくいかない。

あの人、何かいつもと違う。と思ったときに、
自分が何かしたのか、自分に向けられる態度や目が冷たいことにひどく傷付く。

この人、何かあったのかな?そっとしておこう。
と少し距離を取りつつ、いつもと同じ接し方を、心がける。

この人、何かあったのかな?疲れてるのかな?○○が起こってからおかしいから、○○の影響かな?勝手に推測して決めつける。行動で助ける。

この人、何かあったのかな?大丈夫かな?
元気ないね?と聞いてみる。

と色々な受け取り方がある。
多分、人によって受け取り方のパターンがあり、人によってどうされたら嬉しいかが違う。
あと、今までどうされてきたかがかなり関係しているように思う。



私は1番最初に書いたように感じることが多かった。
人の怒りや大きな物音や冷たい視線は、自分に対しての怒りでなくても、息が詰まるし脈が速くなる。声が上手く出せなくなる。
自分に対してではないと頭で分かったつもりでいてもだ。
体が勝手に反応する。震える。


いつも通りに接しようと思っても、普通に話しかけることができない。話しかけた時の反応を無意識に想像してしまう。さっきの目線が向けられたらどうしよう。ちゃんと返事してもらえなかったらどうしよう。
怖じ気づく。声がでない。喉から絞り出してようやく出た声はかなり低い。逆に私が怒っているのかと思われるくらいに。

放っておこうと思ったとしても、なんだか気になる。
しまいには、逆になんで私が思い詰められなきゃいけないの?
なんでこんな思いしなきゃいけないの?
振り回されるのは疲れた。
と怒りと私はこうされる人間なんだという諦めがこみあげてくる。もういいや。
とその人を視界にいれないようにする。存在を無視する。
自分に害のあるものからは目を反らすということだと思う。

自分を守るといえば、聞こえは良いけど…
そうやって、自分の都合の良い状況や人を受け入れて、そうでない状況や人は受け入れない、自分のことしか考えていない、自分の世界でしか生きられない人間なんだなぁと思った今日でした。