ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

きらきら

キラキラ光っている
鳥が飛んできて 浮かんだ
水面に輪を描いて 潜っていった
きらきら きらきら



太陽の光はどうしてこうも温かいんだろう
優しい
自然の中にいると 許されてる気がする
なにもしてない ただ存在しているだけの自分が
わたしは なにに怯えているんだろうか

なんで 私たちは 役に立つとか お金になるとか
そういうのを考えなきゃいけなくなっちゃったんだろう



ある本に
「なんだか生きにくい、所を得ないと思ってきたのは、私が社会を拒否してきたからで、生きにくかったのは、社会を受け入れていない自分のせいで、社会のせいではないと、80歳を超えて遅まきながらやっと気がついた。」
とあった。
その後に話は続いて、
「母自体が日本社会を受け入れていなかった人だったと気が付いた。」
「私が社会を受け入れられなかったのは母の影響が大きいのではないか」
とあり、
母は、社会を受け入れられなくても一応社会的成功をおさめているわたしに「お前のことが一番心配だ。お前の本性は本当はそんなんじゃないだろう?」
といい、
わたしが豪州で虫取をしている映像がテレビで流れたときに母が「子供のころと同じ顔をしていたから安心した」
というエピソードが書かれている。


養老孟司 ヒトの壁



生きにくいとは、受け入れられないことなのか。

だとしたら、全てを受け入れたら生きやすくなるのだろうか。


そんなことできたら苦労してないけどね。

とかいいつつ矛盾だらけだけどね。

それによる、自身の喪失や変化も怖いよね。