ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

カフェにて

すっかり日中は暑くなりましたね。
なんだかみんな、心なしか明るい気がします。
わくわく?ふわふわ?心なしか柔らかい感じがします。
受験も終わり、卒業式や春休み。
日も長くなったからでしょうか。
多くの人の1つの区切りの季節ですね。



飲食店で注文したものと違うものが出てきたとき、言える人はどのくらい居るのでしょう。


今日、カフェにいってホットサンドの2種がハーフで出てくるのを頼んだ。
1種は合っていたのだけど、1種が違った。
しかも私が頼んでいたのはどちはも惣菜系だったのに、甘い系との間違い。
あまり気分じゃない…
けど私は言わなかった。
時と場合と状況と場所。理由は色々ある。
手間と時間と材料のことを考えると別に言わなくてもいいかなという気持ちだったから。
1人でされているところで、もう一回作って貰うのが時間的にも申し訳なかった。
私が声が小さくて聞き取れなかったのかもしれないし。
と色々言い訳を考えた。


でも正直なところ、間違っていると言う権利はあるのです。
「あれ、○○と注文したつもりだったのですが…」
と取り敢えず言ってみることもできたのです。
どうしてもこれが食べたかった!という不快感も無く、今回は全然嫌な気持ちにならなかったのですが、こういうところだな。と感じました。

日頃のこういうところが、「自分をないがしろにして、人を優先すること」を伸ばしているのだと思いました。
自分のことは二の次が当たり前に染み付いているのです。



もう1つ、人生で言うか言わないの選択をたくさんしてきましたが、この世の中『言ったもん勝ち』の所もあると思います。

『言うか言わないかの選択』

私は基本自分の中で噛み締める、溜め込むタイプなので、思い浮かんだことを「言うか言わないか考える」プロセスがあります。
それを踏んで「飲み込む」又は「発信する」行動へ繋がります。

でも、もちろん、人は言われないと分かりません。
言ったところで本当の気持ちがそのまま伝わることは無いのに、言わないと本当のことは何にも分かりません。

比率的に多い「言わない」という選択によって損してきたこと、スルーされたこと、誤解されてきたことも沢山あるだろうなと考えています。
でもそれは基本的に言わなかった私が招いたことです。
「汲み取って欲しい」は、甘えと期待で良いものになら無いのです。

なので、気づかれなくてもスルーされても自分が分かっていれば良いと納得しているものは後々不満にならないので言わなくてもいいのです。
本当は違うのに、して欲しいのに言わないのはあとあと自分の中になんで分かってくれないの!と不満になるし、意外と相手はすんなりとあっ!そうだったの!と分かって関係は円滑になります。
自分の求めていたものがやってきます。

なので『言ったもん勝ち』です。





そのカフェで重い話を明るく話すお母様方がいた。

もしこうなったらどうなるんだろう?
どうにもできない。
はぁ…
と暗さや深刻さにいくのではない。

もしこうなったら大変よ~ね~。
あれもないんだから~。
うちのこなんて○○って言ってたわよ~。
あらやだ~。
笑いが起きる
誰かが次の話題をふる。
重い話を笑いに持っていく。

軽快に爽快に。
そういう力も必要だよなぁと思いました。
この人たちは深刻にその事について話し合って解決したり、安心したいわけではないんですよね。
本気でその事で気に病んでいる訳でもなく、悪魔でその時のその場を楽しむための話題。
複数人の集まりだったので絶妙なバランスで話が進んでいくなぁ~すごいなぁ~。と思って聞いていました。
というより耳に入ってくるのです。笑
暗いニュースで沢山な世の中なので、せめて気の知れた人とだけは笑い飛ばしてしまえたら良いなぁと思いました。


日々、学ぶことはたくさん。