人の言葉の中に自分を探している。
人の中に自分を見ている。
私はあまり多くの人に自分のことを大っぴらに話すことがないので、人がなんでその話を私にしてくれるんだろう?と思うことがある。
話を聞くのと同時に、この人は今私に自分を見せてくれているんだなと客観的に思う。
人の話を聞いては、これってこういうこと?こうだったらいいのにね。その時~だった?どう思った?と深堀するのが割と好きだ。
けれど逆に、あなたは?と聞かれると答えられない。
それは自分がインタビュア側に回っていた感覚であり、あちら側に急に切り替えられない。
流暢に自分の言葉で話す人の前で程そうだ。わたしは時間がかかるから。
インタビュー(?)しながらも私は自分に問いかけている。
この人はこう言ったけど私はどうだろうか?
人の話を外側ではなんとか聞きながら、私の思考は内に潜っていっていく。
それが話題を振られた時に上手く切り替えられない理由なんだけど。
忙しないなと思う。
深いところから外側まで思考がフル動員だ。
頭がぱんぱんになりながらも
こうして私は人からもらって自分を探している。
いつも話さない人、日常のテリトリーいない人と話すのは面白い。
いつものパターンから抜け出せるし、波長やエネルギーが違うから。
寂しい考えだけど、日常のテリトリーではある程度のレッテルがありそこを抜け出すことが難しい。
自分の好きを一直線に語れる人はいいなと思った。
瞬間をちゃんと留めていて、そこに煌めきを残しているような。
自分が感じたそれに、揺るぎない絶対的なエネルギーがあるような。
それが、ふつふつとその人の中で大きな役割を果たしているようだった。
眩しかった。痛かった。熱かった。
いつかの自分を見ている気がした。
人にはこんな風に映るんだと知れた。
私もそんな時があった。
でも今は違う。
これも誰もが通る道なのだろうか。
なんか、全体的に諦めモードなのかな?自分。
うーん。諦めとはちょっと違うような?内に熱いものはある気がするんだけど、どこに放てばいいのか分からないのかな。
今は色んな人の言動の節々にヒントを貰っている。
そうすると自分の中に見えるものがある気がする。