ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

日々

皆その土地に、根ざして、生きている。

でも私は、いつも「いつかここから離れるから」が前提にある。

ここで生きる!(のは何年だろうな)

どうしても自分を入れ込むことができない。

みんなそうなんだろうけど、とりあえずは今ここでちゃんと生きているように見える。

 

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歳の差って永遠に変わらない。

私の母はいつまで経っても母で、姉もいつまで経っても姉。

母も姉も世の先輩たちは、あのとき、こういう気持ちだったんだなきっと。

と思うことがある。

ようやくわかることも増えたのに、その人たちはまた違う段階に進んでいる。

一生同じ目線に立って話をするということができないのだろうな。

小さい頃、はやく大人になりたかったのは、同じ目線に立って話をしたかったから。

対等でありたかった。知りたかった。分かりたかった。

いつまで経ってもその差は変わらない。

嬉しくもあり、寂しくもある。

年下の子をみて、自分を見ているような気持ちになることもある。

今同じ時を生きている中で、それぞれの世代に、それぞれの役割というものもきっとある。

 

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この1か月、ボイトレの一環で毎朝、呼吸のトレーニングをしたり、フラフープを購入して室内でしている。

さぼった日もあったけど。

それでも少しずつ効果を感じている。

誰かが「出来るようになるって楽しい」って言っていた。

そうだったって思った。

これは大人になっても同じこと。

出来るようになったを1つずつきちんと感じよう。

それがまた自信にもつながる。

このまま習慣にしていけたらいいな。

 

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目に見えるものは、できるだけ、見て気持ちが踊るものにしようと決めた。

あとは、隠すか捨てるか。

見るだけで気持ちがあがるって素敵。

でもこれもいつか、何も感じなくなるのかもしれない。

その日まで。

 

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働くって、社会とどう繋がるかを選択することだなぁと感じる。

手段か目的かと言われれば、手段だよ。

 

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たくさんの作家さんの作品が置いてあるところに行く。

やっぱりそれぞれの人の声が聞こえるように思う。

好きだなと思うと同時に苦しくもなる。

個というエネルギーが強いからだろうか。

あと、なんか羨ましい。

自分というものを作品として表現できて。

それが許されていること。温かく迎え入れられていること。

わたしは誰に許されたいんだろう。

 

いつか見た映画。

恋人のためなら何もかも放ってすぐに駆け付けるという女の子。

最後にこんな風に語っていくのを思い出した。

 

「わたしは、〇ちゃん(好きな男性の呼び名)になりたい。

わたしは、まだ〇ちゃんになれない。

好きとかどうかという気持ちではもうない。

……」

 

普通にきくと、この子はかなり重たい女の子。

だけど、少しわかる気がする。

人に対してだけではなく、物や憧れの対象への好きって「なりたい」だ。

好きな場所、好きなもの、好きな人=自分のなりたいもの、在りたい姿

だとしたら、完全なる盲目状態で、良いところしか見えてない状態でもあるのかな。

 

「好き」で自分の見ている方角はなんとなくわかる。

でも、なりたくとも、自分と人は違うから。

人を見て追いかけて走り出すわたしを、ちょっと待って!戻ってきて。

「わたしは」どうなの?

どうするんだったっけ?どう思って動いたんだったっけ?

わたしの今すべきことはなんだったっけ?

と語り掛ける。

 

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たっくさんのことを考えて生きているけど、人は大抵のことは口にしない。

見えないもの見えない言葉でできている。

それでもみんな、なんとかやっているんだな。