皆その土地に、根ざして、生きている。
でも私は、いつも「いつかここから離れるから」が前提にある。
ここで生きる!(のは何年だろうな)
どうしても自分を入れ込むことができない。
みんなそうなんだろうけど、とりあえずは今ここでちゃんと生きているように見える。
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歳の差って永遠に変わらない。
私の母はいつまで経っても母で、姉もいつまで経っても姉。
母も姉も世の先輩たちは、あのとき、こういう気持ちだったんだなきっと。
と思うことがある。
ようやくわかることも増えたのに、その人たちはまた違う段階に進んでいる。
一生同じ目線に立って話をするということができないのだろうな。
小さい頃、はやく大人になりたかったのは、同じ目線に立って話をしたかったから。
対等でありたかった。知りたかった。分かりたかった。
いつまで経ってもその差は変わらない。
嬉しくもあり、寂しくもある。
年下の子をみて、自分を見ているような気持ちになることもある。
今同じ時を生きている中で、それぞれの世代に、それぞれの役割というものもきっとある。
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この1か月、ボイトレの一環で毎朝、呼吸のトレーニングをしたり、フラフープを購入して室内でしている。
さぼった日もあったけど。
それでも少しずつ効果を感じている。
誰かが「出来るようになるって楽しい」って言っていた。
そうだったって思った。
これは大人になっても同じこと。
出来るようになったを1つずつきちんと感じよう。
それがまた自信にもつながる。
このまま習慣にしていけたらいいな。
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目に見えるものは、できるだけ、見て気持ちが踊るものにしようと決めた。
あとは、隠すか捨てるか。
見るだけで気持ちがあがるって素敵。
でもこれもいつか、何も感じなくなるのかもしれない。
その日まで。
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働くって、社会とどう繋がるかを選択することだなぁと感じる。
手段か目的かと言われれば、手段だよ。
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たくさんの作家さんの作品が置いてあるところに行く。
やっぱりそれぞれの人の声が聞こえるように思う。
好きだなと思うと同時に苦しくもなる。
個というエネルギーが強いからだろうか。
あと、なんか羨ましい。
自分というものを作品として表現できて。
それが許されていること。温かく迎え入れられていること。
わたしは誰に許されたいんだろう。
いつか見た映画。
恋人のためなら何もかも放ってすぐに駆け付けるという女の子。
最後にこんな風に語っていくのを思い出した。
「わたしは、〇ちゃん(好きな男性の呼び名)になりたい。
わたしは、まだ〇ちゃんになれない。
好きとかどうかという気持ちではもうない。
……」
普通にきくと、この子はかなり重たい女の子。
だけど、少しわかる気がする。
人に対してだけではなく、物や憧れの対象への好きって「なりたい」だ。
好きな場所、好きなもの、好きな人=自分のなりたいもの、在りたい姿
だとしたら、完全なる盲目状態で、良いところしか見えてない状態でもあるのかな。
「好き」で自分の見ている方角はなんとなくわかる。
でも、なりたくとも、自分と人は違うから。
人を見て追いかけて走り出すわたしを、ちょっと待って!戻ってきて。
「わたしは」どうなの?
どうするんだったっけ?どう思って動いたんだったっけ?
わたしの今すべきことはなんだったっけ?
と語り掛ける。
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たっくさんのことを考えて生きているけど、人は大抵のことは口にしない。
見えないもの見えない言葉でできている。
それでもみんな、なんとかやっているんだな。