ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

私は最悪

『私は最悪』という映画をみた。

急遽、出掛け先の帰りに、夜の回に時間が間に合う!と飛び込みで見たので、頭が回ってなく、ちゃんとした感想がかけないかもしれないけど…

とりあえず、感じたこと。

人生のステージ、求めるもの、自分自身。
それを他人と共有して一緒に暮らしていくというのは、なんと難しいことなのか。
どちらかが我慢したら、家族という暮らしが成り立つのかもしれないけど、それを善しとしない(互いのその気持ちを曲げることを許さない)人は、誰かと一生つれそって生きるということは難しいのかもしれない。
擦り合わせるんじゃなくて、あなたと私は違う人間と尊重すればするほど。
『あなたはこう言っていた。私はこうなの。
私に合わせられても悪い気がして気持ちが悪いし、それはいつか終わりが来ると思うの。』
という人は、何かを選ぶという節目で毎回この人とは一緒にいられない。ってなってしまうと思う。
完全一致することはありえないから。

そういう人は、その時、その時期に合う人と少しの時間を共に過ごす。その繰り返しがあっているのかもしれない。

どうしても許せないことは大事にして、あとはほどほどがいいとも思う。
が、そのほどほどを積み重ねていくと、私の意見や人生じゃないような気がして、良く分からなくなって、離れたくなるんだよね。
場所も人も見つけたものもリセットしたくなる瞬間な気がする。


大人になると、好きだけじゃどうにもならないことがきっとある。
結婚、子供のことの価値観の違いは亀裂の大きな原因なんだなぁと思う。
あとはキャリアの嫉妬。とか、互いの家族とか。
その辺をある程度包み込む器量がないときっと、人と生きるのは厳しい。
そんな風にやっぱり感じる。



主人公の性格は…
『わたし』というものを大事に大事にしているのかもしれない。
個というもの。
円はお好きになんでも入れれますよ。
と言われたら、わたしで埋めてしまうの。たまに埋めても埋まらない時に他人をいれるの。
正解も不正解もないけど、自分の信念を貫いていく生き様だった。
だけど行き詰まったら方向転換、目新しいものへ移る。人でも場所でも。
誰かと一緒にいたらやっぱり安心する。そんな自分を律っさなきゃ、でも自信がないから何でも一定以上にいけない。
そんな風に見て取れた。

と言うより鏡だ。
私自身のことをそうだと思っているのかもしれない。


わたしという女性目線での感想。

外国の作品なので展開が付いていけないところがあった。
ちょっと途中眠たくてうとうとしてたのもあるかも;;
こんな映画じゃないぞー!とお叱りがあっても何もいえない。笑