今の職場には映画好きな人が多く、そのような話題になると全くついていけない。
映画もアニメも音楽もゲームも、私、知らなさ過ぎて、どんだけ狭い世界で生きてきたんだろうと思わされる。
他のことで語れることもあまりない。
悪いことではないけど、話が出来ないなと思う。
かといって、〇〇がおすすめとか言われても見ようともならないのはなんでだろうか。
そんな中、『グリーンブック』という映画を見たので書き留めておこうと思う。
グリーンブック
黒人のピアニスト、ドクターシャーリーと、白人トニーの運転手が仲を深めていくお話。
黒人への差別が酷い時代に、差別が色濃い南部へツアーへ回ることに決めたドクターシャーリー。運転手に就いたトニーも最初は黒人への偏見があったものの、一緒に周っていく中で助け合い、お互いが影響を受け、変わっていく。
トニーは楽観的ガサツでハッタリが上手だが、人脈も広く家族思いで周りからは慕われ、うまく世の中を渡っていくタイプ。
ドクターシャーリーは、お金持ちで品位 があるが、広いお城に一人で暮らして、思ったことを口にしない不器用なタイプ。
普通に暮らしていたら出会うことはない2人が一緒に過ごすことで、自分にないものが入ってきて変化が起きるところが面白かった。
根本的には変わらないんだけど、多分どこかでお互いがお互いにリスペクトがあるからこそ、いろんなことを受け入れられたんじゃないか。
特にドクターシャーリーの世界が広がるところは分かりやすかった。
車に乗っているとき、トニーが、かけるラジオで名前は知ってるけど聞いたことなかった音楽に出会ったり、食べたことないフライドチキンを素手で食べて美味しいというところ。
何故かここでは涙が出た。
ドクターシャーリーはステージの上では称賛を浴びるものの、そこを降りたら黒人だから入れない場所だとか、控室が物置だったりだとか、そこにいるだけで嫌な目を向けられる。
だけど最後は、その待遇にたいして、はっきりと『それなら今夜のステージで演奏することはできません』と言い放つ。
これは明らかにトニーの影響だ。
トニーは、最初は業者の黒人が飲んだコップさえも捨ててしまうような人間だったけど、最終的にはドクターシャーリーを家に呼び、偏見がなくなった。
『世間で上手くやる』というのが、どういうことなのか。
おかしいと思うことに対して、決まりだから、どうせ自分の意見なんてと諦めて従って波風たてずにいくことが正しいのか。
自分を大切にして、問題になろうとも、人がどう言おうとも、感じたことを主張していくことが正しいのか。
これはすごく分かりやすく、人種差別という点で描かれていたけど、自分の生活に似たようなことが、小さいことから大きいことまであると思った。
やっぱり、人って大事で、影響をうけるしどんな人と一緒にいるかで変わっていく。
そう思うと、出会って別れる、出会って別れるを繰り返すことは、無くてはならない。
自分の世界を広げる、更新していく大事な行程なんだ。
と色んな人の顔が浮かんできた。
自分もどちらかというと頑固でなかなか動かないところがある。納得しないと動かない。
不器用で、そんなこと思ってないけど、うまく表現できず、誤解を受けることも多い。
人を疑う、こう思われてるだろうと思い込むことも多い。
最近は、流されることをやってみよう、言ってもらえたことは取り敢えずやってみよう、色んなことを忘れよう、と思っている。
これは人を自分の中に入れるということ、新しいものを取り入れること。
バランスも大事だけど。
心に残った言葉
(吹き替えで見たから実際のニュアンスとは違うかもだけど。)
「寂しいときこそ一歩踏み出せ」
「そうなら言ってくれよ。分からなかった。言いたいことは言え。」
「自分をまずは大切にな。」
「もっとそういうのやれよ(ポピュラー音楽)訓練してきたショパンやバッハとかは誰にでも弾ける。お前にしか弾けないものを」
→「僕の弾くショパンは僕にしか弾けない」