ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

恩返しや感謝は自己満足?

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色んな人に救われて生きている。

物理的にも精神的にも。

私は、「心救われた瞬間」や「自分の考えに大きな影響を与えてくれた何か」や「行き詰まっていたことを開くきっかけをくれた何か」はよく覚えている。

それらに物凄く感謝をする。「すごくあなたに救われました」って伝えたくなる。恩返しをしたくなる。

でも、それってどうすることが恩返しになるのだろうか。

感謝の気持ちを本気で伝えるって、伝わるって、本気で難しいことだと思う。

 

例えばお礼の気持ちを兼ねて物を渡すとする。

それって本当に伝わる?喜ぶ?相手はそこに込められた想いには気付かないかもしれない。

 

例えば、恩返しのつもりで親をどこかに連れていくとする。

それって本当に親の為?親はそれを望んでいる?

 

例えば、単純に、「あの時は本当に救われました。ありがとうございました。」と言葉にして伝える。

それって本当に私の重みの分だけ伝わる?

 

物を渡すのも、連れまわすのも、自己満足かもしれない。

相手はそれを望んでいないかもしれない。必要ないかもしれない。

でも思っているだけじゃ伝わらない。

言葉で伝えるのは、意外とそういうタイミングがないし、重たいしちょっと気恥ずかしい。

しかも、相手は覚えてないことだったり、

ちょっとした誰かの言動が、鳴り響くように、じわ~っと温かさになることだってある。

要は勝手に受け取っている。

 

直接伝える必要もないってこともよくきく。

「貰ったものは、今度は自分が周りの人に分ける」

みたいな。

 

周りをよく見て、今の環境を見渡して、感謝の気持ちや恩を返したいなぁという人がたくさん居る。

できることなら本人に伝えたいけど、どうすることがそうなるのかが分からない。

救われたから、今度はあなたの力になりたいっと思っても、届かないときもある。

本当は本人よりも他の周りの人に循環させることが最善なのかな。

その術もわからない。

もっともっと吸収して、発信できたらいいな。

1つ自信になったこと。

自己肯定感が低い私が今、唯一、自信を持てることが1つだけある。

それは、体の調子を整えると1年と少しやってきた結果が目に見えてくるようになったこと。

結果に自信が持てているわけじゃなくて、その工程においての自信。

どんな事かというと…

 

①1年とちょっと、継続できた。

②習慣化できた。

③自分であれこれ調べたり情報収集をして、自分に合う情報を取捨選択できた。

④情報収集→実践→更に改善策・自分に合っているかどうか を繰り返し行えた

⑤プロの人の手を借りる大切さを知った

⑥現状の自分をよく観察する大切さを知った

⑦方法として、正しいやり方と、自分に合ったやり方が大事だと知った

 

まだ完全ではないし続いていくし、常に体調は変わっていくと思う。

けど、こんなちょっとしたことが自分にとっては自信になった。

受け身な自分で、自分から動かないと思っていたけど、自分でちゃんとできたじゃん。できるんじゃん。ちゃんと結果出せたじゃん。

って。レベル低い話かもしれないけど。

色んなことをするときに、新しいことに挑戦しようと思うときに、これを思い出したら私にもできるかもしれないって思えるんだ。こんな風に、何事もしていくと、すぐには無理でも、いずれそれなりに身に付くかもしれないって思えるんだ。

この取り組み方の姿勢は、色んな物事に対して活用できると思う。

その事に入り込んでいけば、ちゃんとした質問ができる。というか、自然と疑問点が浮かび上がる。表面的な疑問じゃなくて本質的な核心をついた質問。

質問力って自分がどれだけそれに入り込んでいるかを図るバロメーターでもあるんだなと知った。

 

腹筋なんて1日に10回しかしてない。けど、毎日やることで、姿勢を保てるようになった気がしている。毎日といったけどしんどい日は無理をしないと決めて、実際は飛んでいる日もある。

継続って本当に大事だと思う。極端な話、1日1回でもそれを毎日するなら確実になにかは変わると思う。

だから、やりたいことは早めに取り掛かってみよう。数より継続。情報収集して、たまにはそれに詳しい人の手を借りて、実践して、振り返ってを繰り返して模索していく。

 

実際に結果で得したこと

①体の調子がいいと、気分もいいし、できることが広がる。

→・ピアノを長時間弾けるようになった

 ・仕事の体への負担が少なくなった

 ・とにかく、楽。体の使い方、姿勢、脱力、呼吸が生活全般に応用される。

 

②首回りや顔回りがすっきりしたので、髪型をショートにできた。そして自分で悪くないなって思えた。

→少し自分を好きになれた

 

 

1つだけ、アウトプットが苦手だからこの姿勢改善の素晴らしさやコツを人にはあまり教えられないのが自分の弱点だなぁとは思うのだけれども…

アウトプットは私の今後の課題。

 

特にトレーナーがいるわけでもないし、人の体改善や取り組みの喜びみたいなものは人にとってはきっとそのくらいのことで感動を分かち合える人もいないので、ここに証として。

 

筋トレは最強って、メンタルが強くなるって言われる理由が少しわかった。(私は筋トレでもないし、そんなストイックにはしてないけど)

 

とりあえず、よく頑張ってきたね、自分。

もう一度、1年の抱負。

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今年の抱負みたいなことを一度書いたけど、少しほわっとしていたので、もう一度ちゃんと提示したい。自分のために。

時間の区切りは勝手に人間が決めた。

だなんて言っている私だけど、儀式みたいなのが自分の中にはあって、1年の終わりは振り返って、始まりは大きな道を確認している。

 

今年の大きな目標

 

「人として」

「人との繋がり」

 

表現がざっくりだけど。

仕事うんぬん人間関係うんぬんより、人として育ちたい。

今までもずっと言ってきたし、散々自分を俯瞰してきたつもりだけど、まだまだ自分が見えてない部分が多い。

もう一度疑い直す。

今ならそれができそうな気がするし、その先に人や仕事や生活がついてくるような気もしている。

 

 

細かく指針を書いていく。

 

「同じ悩みや行き詰まりを感じるなら、やり方を変えてみる。今までしていた方法を1度きちんと自覚して今までと違うようにしてみる」

同じようにしてたら同じ結果になることは大体予想はつく。だけど、今までは、自分の方法やパターンを疑うことをしていなかったと思う。

ほんの些細な事でもいいと思う。

場の空気が重くなったなら、一言声掛けしてみるとか。

ここにいくとこういう気持ちになる。こういう行動してたらこういう気持ちになる。大体相手とこういう空気になる。とか…

少し違う行動にする、少し違うところに行く。そういうことからしてみよう。

今なら新しいもの、今まで取り入れようと思わなかったことを取り入れていける自分だと思う。

 

「予定を詰め込みすぎず、自分のその時やりたいことに取り組む」

これは休みの日でも、今日は病院行って、あのカフェいって、CDレンタルして、ヨガ行って…とかって決めていたら、ゆっくり食事もとれないし、時計を見て予定通りの1日を過ごすだけで心がせかせかして全然休まらないことに気付いたから。

私は予定を決めたら、それを遂行することに意識が行ってしまって、予定外のことを取り入れることができなくなる。

できるだけ、心にも時間にも余白を残して過ごしていたい。その日にやりたいこと、心が自分が望んでいる方に動いてあげる。それが一番休まるから。体の力が抜けるから。

それが別に寝たい。とかでもいいんだ。体が休みたがっているんだから。もちろん散歩したい。何か作りたい。歌いたい。でもなんでもいい。

やらなきゃよりやりたいだ。

自分を無視しないであげたい。

 

「多くの人と適度な繋がりをもつ」

これは、ちょっとまだわからない。

人と繋がりたいけど、別に誰にでもいい顔をしたいわけではない。

変に幅広い交友関係を築きたいわけでもない。

誰にでも話すような、雑談リストに入っているような、上辺だけの話がしたいわけじゃない。

でも私には人の力が必要だと思うんだ。

人になんとかしてもらえるとはもう思わないから、人は力をくれるし、背中を押してくれるけど、結局は自分で勝手に受け取って勝手に力にしてるだけだと思ってるから。

深く繋がりたい。と望んでいるんだけど、望まずに、まずは色々な人や場所と出会ってみる。話してみる。

深く繋がるなんて、深く繋がれるかなんて誰にもわからないから。自分でどうにかできることだけじゃないと思うから。

流れというか、運というか、相性というか、タイミングもあると思うから。

私が私でいれば、あるべき場所とあるべき人と繋がっていけるはずだから。

 

 

「今目の前にあることをきちんと取り組んでいく」

やるからには、きちんとする。いいものを作り上げていく。

だけど、めりはりをつける。やるときはやるけど、肩の力も抜く。

しんどい時は休む。けど、やるときはやる。

 

「思い込みで閉じこもらない」

人に迷惑かけていないなら、大体なにをやっても大丈夫。

どう思われているのかわからないから、できるだけ考えない。

勝手な思い込みで選択肢の幅を狭めない。

 

 

「自分の緊張具合や心身の状態とその場や空気の観察、人の行動や表情や空気の観察」

相当、前回紹介した本に影響されているとおもうけど、これを今年は頑張ってみようと思う。

 

ymcvsss.hatenablog.com

 

特に、人の観察。人から目をそらしていること、自分の内に潜って人を無視していることが多いから。見逃しているものが多いと思う。その場やその人が嫌なら、その嫌な部分は何なのか、目をそらさない。

かといって、自分のことも大体同じところに潜って違うところを見ようとしていなかったとも思うから。新たな開拓。

客観的な視点を持てるようにしたい。

 

この本を読んでからというもの、コミュニケーションとは何かを考えるようになったし、喋るより話を聞くのが自分はうまいと思っていたけど本当にそうなのか?と疑うようになったし、他人と本当に同調できているか?を気にするようになったし、もっと磨けるんじゃないかとも思っている。

カウンセラーになりたい訳じゃないけど、そういうことにも興味が湧いてきた。

 

内容が重なるけど、でも、考えすぎず、自分のままで純粋に思ったとおりに人と接することも忘れないでいたい。

聞きたいことは聞くし、言いたいことは言う。

 

 

変わるのも、変わらないのも自分が決めること。

というか、自分でも待つことしかできない。

他人が変えられるわけはないし、自分自身さえ意思で変わるのも難しい。

自分がどうなっていきたいかも、いろんな経験や過程を通して、自然と気持ちがそっちに向かうんだと思う。

自分で「こうなりたい」と思ったとしても、自分自身が拒絶している。

それは仕方ないこと。

自然とそっちに行動したいって心から湧き上がってくるのを自分自身待ってあげることしかできないんだと思う。

なんて、私は自分が気持ちよく過ごしたい。変なプレッシャーや苦しさを抱えて生きたくないから、そんなことを言う。だから、居心地が悪いところからは物理的にも心理的にも去る。自分がそんなしんどい思いまでしてそこに居たくないと思う。

強い人は、それを抱えてどうにかしようと頑張るのだろうか。

 

 

具体的な動きとしては… 

「ストレッチ、姿勢改善は引き続き取り組んでいく。」

これはだいぶ、習慣化してきたからきっとそんなに意気込まなくてもう大丈夫だと思う。

 

「弾き語りの精度を上げる」

ピアノの弾き語り、歌うこと。これは楽しんでやれてるからとりあえずはいいかな。

だけど、少し欲を言えば誰かとセッションしたり、ハモったり、できたらなぁと思う。

技術はとくに持ち合わせてないけど、情報収集もしていこうと思う。

 

「海外にいく」

結局昨年は行かなかった。

今年こそは。……本当に行くかなぁ…

とりあえず、どこでも。一人でも友達とでも。行くことに意味がある気がしている。

 

「ライブやイベントやワークショップなどに積極的にいく」

好きなバンドが歌ってること、続けていることは当たり前じゃないから、チャンスがあれば会いに行く。

気になるイベントやワークショップにはとりあえずいってみる。情報収集もしていく。アンテナを広げてみる。

とりあえず、1歩目としてコーヒードリップのワークショップの予約した。

 

「安さに飛びつかない」

物によるけど、消耗品以外は安さで買うのはやめたい。

衣料品やサービスや接客や食品や化粧品…やっぱり値段相応。

 

 

と、1年が始まって2週間経ってちょっと冷静になってもう一度今年の抱負を書いてみた。

全体として新しい思考やものやサービスや情報も取り入れていこうと思っているのかな。

長くなりましたが、試行錯誤して進んでいきます。

あなたは、なぜ、つながれないのか ラポールと身体知 / 高石 宏輔

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これは、街で大きな本屋の文庫本の新刊の棚の一番右端に数冊並べられていた。

きっと、見えない人には見えない位置だ。

私は呼び寄せられてか知らないけど見つけてしまった。

しかも、「あなたは、なぜ、つながれないのか」だ。

どきっとした。私のことだと思った。

手を伸ばして本を開くときに少し怖くもあった。

 

プロローグにこんなことが書いてある。

 

渋谷のスクランブル交差点でのはなし。

「この場所で、顔を上げて、目を開けて、周りにいる人の顔を見ながらすっと気持ちを落ち着かせて立つことは難しい。」

 

「少しでも他人を怖いと思うと、それができない。他人と目を合わせられなくなり、姿勢は少し前かがみになってしまう。目の前にあるすべての目を見るつもりで、周りに意識を向けてみると、身体の中に周りの人たちの意識が入っては抜けていくことが繰り返されるように感じる。

いつもこうして立ってみて、今の自分のコンディションを確かめる。」

「周りを見ず、自分の殻に閉じこもって動いていた人々は、群れると突然大きな声を出す。閉じていたからが突然開いたというよりは、殻をとじたまま刺激に負けじと叫んだり、笑ったりしているように見える。」

「ここで生きていくためには、彼らよりももっと大きな声を出して、彼らにぶつかっても勝てるような、もっと硬くて強い身体を手に入れなければいけないと思った。

僕も楽に生きていくために殻が欲しかった。」

 

私は渋谷のスクランブル交差点には行ったことがないが、自分が「他人が怖い」と思っていることを知っている。

渋谷のスクランブル交差点でなくたって、細い道で人1人とすれ違うのさえ苦手だ。

普通に歩けばいいものの、どこに視点を定めたらいいのか、変な緊張が走る。

すれ違う人にさえもどう思われるか気にしているのだろうか。フラットな自分でありたいのだけど、堂々と居たいという気持ちからか、無駄にまっすぐ前を見つめて、私は何も見えて居ないかのように、流れる景色よりも通行人が無い存在のようにしている。

それは、大通りでも同じだ。人の顔などみていない。ただ、物体にぶつからないために、私とその物体たちが切り取られた別の存在なものかのように歩いている。

しかし、私は殻はもういらない。こういう時は殻に閉じこもっている、どんどん内に閉じていっている証だと知っているから。

 

と、書店なのに冒頭だけで自分と向き合うことになってしまった。

少し、この表紙の本をレジに持っていくのは恥ずかしさがあった。

それは自分が人と繋がれないと悩んでいると思われるであろうという思い込みがあるから。

でもそういうところでは、人にどう思われてもかまわないので無事会計を済ませた。

 

家で引き込まれるように読んだ。

読んでみて、とりあえずこの本についての事実だけ書いていこうと思う。

 

この本の著者は、コミュニケーションが苦手で、グループの輪にいるより端に居るような人物だった。大学時代は引きこもり、心身に体調をきたす。カウンセリングを受け、自らもカウンセリングの知識も深めていく。自分のコミュニケーションを変えるために見知らぬ人に声をかける、路上ナンパを始める。そこからコミュニケーション自体を見つめ直していく。ナンパ講座、カウンセラー、ワークショップなど活動している。らしい。

 

内容は、

内側に意識を向ける、自分と向き合う、自分の弱さを認める。

自分の行動、体の緊張、そのときの気持ちの観察を行う。

自分の無意識にしていることにこそ意識を向ける。

でも、外側にも意識を向ける。

内側と外側に意識をむける(トランス)に入れた時、人は同調することができる。

(※ここでの同調は、表面的な賛同とかではなくて、心が通じ合い、話している姿が自然で第三者からも違和感なく見えること。例えば話している相手の気持ちと同じ気持ちに自然に運ばれたり、落ち着き具合や緊張具合が同じような感じになっていること。)

 

 

こうすると良い。みたいな無理な具体的な行動が書いてあるわけではなく、自分の行動を掘り下げて、冷静に、客観的になって、自分がすべきでないことをしていないかどうか。

どういうときに何をしていて、それが何かしらの原因になっていると自分で気づけたなら、改善していけるだろう。

人は、人に言われたところでなかなかできないが、自分で体感的に気付いたことは改善できる。

 

そうして、自分を真正面から見つめることが他人を見つめることにもつながる。

自分を観察してリラックスした状態にいるとき、他人を見ることができる。

他人が入る余白が自分の中に生まれる。

 

というように前半は、

日常の自分の観察、他人の観察、体と感情の繋がり、同調、外と内の意識、自然な変化

というコミュニケーションをどうとらえるか、自分を見直すことなどが書いてある。

後半は、話を聞くということ、話すこと、会話や言葉による誘導・依存・自己嫌悪などの影響、思い込みについてなどちょっと実践的なことが書かれている。

 

 

かなり、情報量は多い。

書かれているのは大体同じようなことだが、章によって、かみ砕き方が違ったり形が変わっている。全ては大きく繋がっている。

1つの大きなジャンルの本といったらいいのだろうか。

著者の実体験で得たコミュニケーションについて、人と人との表面的ではなく内側での繋がりについて、そういうことで悩み苦しんでいる人への生きにくい人へむけてへのヒントの本だと思う。

取り入れるかどうかは読者次第。

 

 

簡単な感想

私は、ちゃんと事柄と向き合ってないことがあると気付いた。と思う。

けど、向き合おうとしたら頭が痛くなって、考えることを頭が拒否をしている。

人のせいにしたり、環境のせいにしたり、諦めたふりをしたり。どうしたら向き合えるだろうか。自分が避けているところを見るときが必要だ。

自分を分かっているつもりでも、まだ無意識の部分、見えていない部分がたくさんあるのだろう。

内側に意識を向けるのは得意だ。でもそれで現実逃避をしていることにも気付いた。

そして外への意識は少なかった。

人と話したい、でも話すのが苦手。繋がるのが苦手。

もう少し時間が必要だ。そして否定も肯定もアドバイスもしない話を聞いてくれる人が私には必要に思う。

周りの人の観察から始めてみようかな。

こういう、訓練的に自分もに人にも意識を向けて平和的な自分を保てるようにすることも大切だと思う。

けど、ピュアな心で感じたままに人と接することも忘れないでいたい。

この2つはきっと、同じようなことなんだ。それが分かりかけているけど、まだ分かり切れていない。

自分を活かして人と繋がっていくこと。まだまだ分からないけど、1つのヒントの本として受け取った。

 

 

 

あなたは、なぜ、つながれないのか :ラポールと身体知 (新潮文庫)

あなたは、なぜ、つながれないのか :ラポールと身体知 (新潮文庫)

  • 作者:高石 宏輔
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/12/25
  • メディア: 文庫
 

 

人として当たり前のことだけど

年が明けて、初めて会う人には

「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」

という決まり文句がある。

何がおめでたいんだろう。と毎年思ってつい、「今年もよろしく」だけしか言わない時もある私だけど…

歳神様をお迎えするお祝いの言葉なんだね。

お正月自体、神様がやってくると考えられてたんだ。

多分、一回は聞いたことあるはずだけど忘れてた。

最近は、ただ新年を迎える期間としか思っていなかったな・・

文化とか歴史は置き去りにしてきた。

 

人として当たり前のあいさつだけど、なんかどうも言えない。

あまり交流がない人には尚更。

「あけましておめでとうございます。(なにがめでたいんだろう)今年もよろしくお願いします。(別によろしくしたくないな)」みたいな。

ただの決まり文句を口先だけで言えばいいだけなんだけど。

心にもないことを、発することに抵抗がある。

でもこれは挨拶。教養がない人間なのかな。

 

子供に親が挨拶しなさいよ。って言うのは、なんのためだろう。

やぅぱり挨拶をしないような人間になってほしくないからだろうか。

それとも、ちゃんと教育されてない子供、親の顔が見てみたいって思われないためだろうか。

なににしても、挨拶はして当たり前で、誰も挨拶の素晴らしさとか良さを教えてはくれなかった。

「挨拶するのよ~。」とは言われてきたけど、何のためにかは言われなかった。

「人として」というようなもの。

挨拶は気持ちいい。ってよくいう。

けど、心から気持ちいいと思える挨拶を交わすことはあまりない。

家族にも朝あったら、言わなければならないもの。

職場でも、言わなければならないもの。

社会に出て、言わなければならないもの。

という認識になっていて、なんかちょっと違和感。

したら気持ちいいんじゃなくて、しないと人としてだめだから。

それがなんだかなぁと思う。

それでもしないよりはいいんだろうけど。

手紙

連投になってしまうけれど、いま書いておかなきゃと思ったので。

新年という区切りのいいところで、新しいことをしたい欲が最近は強い。

ということで、1つちょっとしてみたいことがある。

それは

『手紙』

手紙のやり取りをしたい。
やり取り?じゃなくてもいいけど、1回きりでも良いのだけれども。

なぜか。
手紙に関する本を読んだ。
手紙って、私が小学生のころに流行った。
自分のなかでかな?文通相手を募集して、顔も知らない人とやり取りをしてた。
今考えたら、危険なのかな?わからないけど。
でも、学校からかえってポストをみて、自分宛の手紙が来てたときは嬉しかったし、便箋の中には何かが詰まっている気がした。
それを開けるときもわくわくしたし、文を読みながら心の中で返事をしたり、想像したり。
時間と距離と生活を色んな人の手を渡って移動してくる手紙。
書いて何日か経過して相手に伝わるっていうのも、なんか良いと思う。
そのときの想いと時間が詰まったものが未来に届く。
なんか、不思議なものだと思う。今の時代、なかなか手にできないもの。
そういうのが、蘇ってきた。

そこでちょっと、提案です。
これを読んでくださっている読者の方、私と一往復でもいいので、やり取りしてみませんか?
住所をお伝えする怖さは少しありますが、読者のあなたなら大丈夫だと思っています。
内容はなんでも構いません。あなたが今考えていること、悩んでること、言葉にできない想い、普段人には話せないこと、誰かに伝えたかった想い、生活のこと、もちろん私に対して話したいことがあればったり質問とかでもなんでも。

一往復はやりとりしたいですが、それ以降の返事は特に強要しません。
形式も特にないですし、封筒でも葉書でもなんでも自由で構いません!
できたら、そちらから送って頂くか、同時に送るかが理想です。

なんのため?と言われたらわかりませんが、なんか、ちょっとおもしろくないですか?
何かを思い出すためは、あるかもしれません。

もし、やってみたい!という方いらしたら、TwitterのDMの方にご連絡頂けませんか?

@n0_10st

でしているので、是非。

2020.1.2

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1年の始まりに。

皆さん、昨年はありがとうございました。
ぽつりぽつりと、捌け口や頭の整理のように利用しているブログですが、繋がってくださっている方に感謝です。
そして2020年が始まりましたね。

昨年はどんな1年だったか。
年々なんかふわふわしてきている気がする。
自らそっちに導いているのかもしれない。

「許せるものが増えた。譲れはしないけど」

「少しずつ受け止めていく 少しずつ受け入れてい

守れる人でいたいな 大人になったんだ」

「時間が解決してくれる もうその通りだと思う
でも正しくは生き続けてる 自分か導いてる」

SUPER BEAVER/27

年が変わったから1年の区切りとかじゃなくて、運のバロメーター?みたいな感じでその位置での今の想いになるかな。
運は今は割と良いところにいると思う。
というか、ちょっと今変革期というか何か動き出している気がする。
つい数ヶ月前まではどん底だった。
波ってやっぱりある。


1年、どうだったか。
正直あんまり覚えていない。
昨年、どんな思いで迎えて何かを決意したのかしていないのか。


大きなお別れをした。
それについては今は何も後悔もない。
よくお別れしたね。って今は自分にいってあげられる。
でもそれによって傷付きはあった。
人は離れる。だから1人で生きなきゃ。
って本気で思った。

環境は変わらない。
住まいも職場も。
関わる人も

お気に入りのカフェにはまだ行っている
店員さんと話すようなカフェが幾つか増えた
あまり色んなところに行かなくなった。
あまり食べ物に執着がなくなった。
クラリネットは吹かなくなった。
ピアノの弾き語りはしている。
カメラをもって出掛けている。
インテリアを変えた。

ヨガは続けている。
家でのストレッチも続けている。
新たな姿勢改善法に取り組んだ。
パーソナルトレーニングを受けてみた。
体自体には変化はある。
けどまだまだ改善点もある。
ゆっくりだけどいろんな人の考えや説明をきいて、融合させたり、自分に良いものがわかるようになってきた。

自分の大切なものを認識できて胸に秘めることができた。
次は行動。

人と接するのは好き。
でもやっぱり一対一が好き。
一人一人の生活、想い、物語の話をしたい。


人との距離感はまだわからない
どんな立場の人であろうと、自分が見ていたい人とは深く繋がりたいと思ってしまう。
のとは裏腹に行動には出せない。
他人は意外にもすり抜けるような繋がりを持っている人が多いなと思う。
私みたいにいちいち1人と向き合いたいなんて重たいのかな。
私も期待もなにもしなくて表面の付き合いを増やすべきなのかな。そしたら怖くないのかな。そしたらある程度安定して過ごせるのかな。
なんて思ったりもしている。


ちょっとだけネジを弛めようと思った。
生活全てにおいて。

やらなきゃになったら休もうと思った。
何にしても、やりたい。やろう。行きたい。じゃなくて、やらなきゃになったら一旦距離をとってみよう。


人の力を借りようと思った。
二転三転したけど、人は良い意味で利用しながら生きている。
元気をもらって、エネルギーをもらって、助けてもらって、癒してもらって、安心をもらって。
それって当たり前のことなんだ。

「1人で生きている今日も 独りになれなくて」
SUPERBEAVER/27

だから、良いんだ。できるふりをしたり、わかるふりをしたり、気にしないふりをしたり、平気なふりをしたりするのはやめるんだ。
出来ないことはできない、わからないことはわからない、悲しいときは悲しい、しんどいときはしんどい。
と誰かを頼る。どう思われようが。


1年を通すと長い長い休息時間だった気がする。
心が凍結していた。
孤独に撤していた。
一昨年にやろうと思ったことが、昨年は撃沈していた。
それがこのタイミングでもう一度思えていること。

やりたいことはやる。
少しでも興味があったら簡単なことから取り組んでみる。
やりたくないことは自分の生活から排除する。
予定を詰め込みすぎない。
余白の時間をもつ。
脱力する。
合わない人、自分の気分を害する人とはできるだけ関わらない。(それが例え家族であっても。)
色んな人と会う。
普段なら自分の中で消化することを発言してみる。(自分の調子がいいときでいい。)
考えすぎない。思い込みを広げない。
自分を抑制しすぎない。
仕事はなにかしら変えたい。
自分が大切にしているものが感じられるような仕事の在り方でありたい。
なにかに固執しない、手広く物や事や人と接する方法も取ってみようかな。
世の中のことを知ることをしなきゃいけない、情報をいれなきゃいけない、最新技術に触れていくべき。が、今のところ「~したい」「~しよう」にはならない。けど、少しずつ開いていけるような気もする。



あまり具体的な行動ではなくて、人としての在り方みたいな話になっちゃった。
まぁ、いつものこと。安定の私。



変わらないところは変わらないよ。
受け止めて、受け入れて、身に付いたり、捨てたり、強まったり、弱まったりしてるだけ。

具体的な行動はまた記録としてここにかけたらと思う。

皆さん、今年もどうぞよろしくお願いします。