ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

「やりたいことに似た逆のこと」

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私の理想の暮らしは、自分の好きな時に、好きな所にいって、好きなことをする。

ごくごくシンプルな話だ。

 

行きたいところは具体的にはない。

世界中のしらない景色を見たい。知らない文化に触れたい。知らない言葉を聞きたい。

知らない街並み、建物、自然、人々…

ただただそれだけ。知りたい。私が生きている、この世界のことを知らずには死にたくない。

漠然とそんな思いだけがずっとある。

知らないものに触れることが自分の心が躍ることだとは知っている。

でも、時間やお金の心配があるとそれらが素直に楽しめないことも知っている。

 

さっきあげた、「好きな時に好きな場所で好きなことを」

とは思っているものの、なぜか自分自身で決めることがそれとは真逆のことなのだ。

実際、今アルバイトや派遣の仕事をしている。(そう、退職してからの全くの無職からは脱出したのだ)

12月はほぼ休みなく、働くつもりだ。

これは、自分の好きな職だから嫌々とか、お金のためだけではない。

だけど、お金のためでもある。

もし、今、お金を気にしなくてよくて、何にも心配しなくていい自由な時間を与えられたら、私は何をするだろう?と頭で考えていた。

一番に思い浮かんだのが、「世界中の知らない土地に行きたい。好きなだけ滞在して、好きな時に移動したい」ということだった。

やりたいことなのに、それを置いて私は日々の時間をバイトや派遣の仕事に費やしている。

もう一度いうけど、その仕事も好きなことではあるのだ。

 

心と頭が別々に動いているような。歯車がかみ合ってないような。手と足が一緒に出て動いているけど進んでいないような。

そんな状態に思える。

 

「やりたいことを書いたらなら、それを今すぐやってしまえばいいのだ」

「それをやらないで残っていることは、自分に向いていないことかその程度のものだ」

「やりたいことはやってしまえば、案外小さなことに囚われていたと感じることがある。」

誰かがいっていた。

それは成功者の言葉だとか思う私はひねくれているのか。

そもそも、そんなこと言えちゃうからそっち側の人間になれるのだろうか。

 

時々わからなくなることがある。

私は今、「やりたいことをしている」のか「やりたいことに似た逆のこと」をして生きているのだろうか。