ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

あれ、おかしいな。自分を俯瞰してみる。

あれ、ちょっと待って。またなんか間違えた?思ってることと違うことになってない?

 

たまに自分を俯瞰する。

 

1月末で辞めるはずだった派遣の方、半月ほど延長になった。なったというかした。

頼まれて断れなかった。

「1月末までだったよね?もうちょっと居てくれたら助かるんだけど…」

と言われた。

助かると言われると応えたくなる。こんな私でも誰かの役に立っているなら嬉しく思う。

あー、でも嫌いな満員電車の通勤と、時間を食うばかりの作業。あれがやっと終わると思っていたのに…
きっと猫の手も借りたい状態で、別に私じゃないといけないわけじゃなくて、私しかいなかっただけなのに。あの言葉でころっと変わってしまった。

「たかが半月、されど半月」だ。

2月からは派遣の無い生活を思い描いていたのに。

あれ、おかしい。気付いたら2月の前半は9連勤、1日休み、9連勤1日休みが続いているではないか。

無理!と言うことだってできたのに私はこの選択を選んだ。

 

もし私が相当使えない奴だったらそんなことは言われないはず。私「しか」いなかっただけだけど、そこに居たのが私「だったから」お願いされたと考えよう。特に仕事内容が好きにもなれなくて誇りも持てなかったし、人付き合いもさほど築けなかったけど…こんな私にでも、忙しい中丁寧に仕事を教えてくれた方、気にかけてくれた方がいた。その方々への恩返しと思ってあと半月行こうと思う。恩返しにそこに充てるはずではなかった私の時間を捧げよう。と。

なんて、自分の選択を肯定しようと必死。

3月末まで居てくれたら助かると言われたけれども、それはさすがにもう1個の仕事の方との兼ね合いもあるので無理といった。

 

 

 

たまに、流れてゆく毎日に飲み込まれて、ただ流されるだけになってないか自分を眺めるようにして考える。

私、何がしたいんだったっけ?とたまに分からなくもなる。よっぽどやりたくないことはやっていないつもり。けどよっぽどやりたいことをやっているとも言えない。

というか最近、やりたいことがわからない。前々から、何かやりたい。何かを求めているのは確かなのだけれども、それが何かが分からない。今立っているこの場所には無いのはなんとなくわかっているのだけれども…

物理的にどこかに行っても、誰かと出会ってもその何かが見つかる気も実はあまりしない。周りに答えを求めてもきっと見つからない。「どこかに…誰かに…」だなんて都合のいいことあるわけがない。自分の中にあるはずなのにそれが分かるときが来るのかも分からない。

だけどこのままだと、なんか違う。つまらない。そんな方向に進んでいってしまう気がする。

 

自分が2人いればいいのになぁ。なんて最近はよく思う。そしたらあれもして、これもしてともっともっと色んなことができる。時間が足りないわけじゃなくて作らないだけなのに、行動すればいくらだってできるはずなのにこれはただやらないことへの言い訳だ。だけど、私のやりたいことって何だったっけ?

 

 

 

 

最近よく、この歌詞が頭の中を流れる。

 

「信じた言葉が力をなくしても 自分が自分を認められなくても

集めてきた星が砕けて消えても そこからここに響くよ」

「真っ直ぐな道に迷ったときは それでも行かなきゃいけない時は

僕の見たかった欲しかった全部が 君の中に あるんだよ」

(BUMPOFCHICKEN / 流星群)

 

ボーカル藤原基央が書く歌詞は、君が僕であり、僕が君であることを多々感じる。

(私だけかもしれないが)

 

いつだって君は僕を見ていて、僕は君を見ているのかもしれない。