ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

「得意なこと」と「好きなこと」

「得意なことは仕事として活かしたい」と言った人が居た。

自分の得意分野で勝負するのは賢いと思うし、それは理にかなっていると思う。

 

でもよく考えると何通りかがある。

「好きだし得意なこと」

「嫌いだけど得意なこと」

「好きだけど苦手なこと」

「嫌いだし苦手なこと」

趣味としてするならどうぞご勝手にとなるけれども、仕事としてと考えるとどれがいいのだろうかなんて考えている。

 

まず、「嫌いだし苦手なこと」は初めから除外してもいいだろう。そんなこと、趣味でさえしないと思うから。嫌いで苦手なことなら仕事としてもままならない。そんなものはさっさとやめてしまえばいいだろう。

 

残るは3つ。

これが私の中でどれがいいか確定的なものがはっきりと見つからない。

 

「好きで得意なこと」例えば、甘いものが好き作ることが好き、それでいて、味がよくわかり作る技術も申し分ない、味の組み合わせや発想に優れていて仕上げも綺麗な人。

仕事にするには一番いいようにも思える。好きで得意なら願ったり叶ったりだ。

 

「好きで苦手なこと」例えば、甘いものは好き。作ることも好き。やる気と意欲はある。だけど、手先が不器用でなかなかケーキを形にできない。発想が浮かばない。味が分からない人。

好きであり、やる気があることは気持ちのモチベーション持続には繋がる。不器用であるのは、向き不向きとなり、気持ちだけではどうにもできないこともある。(むしろそれでめげてしまう可能性も)逆にのびしろが多いともいえるかもしれない。だが、即戦力にはかけ、時間を要する。

 

「嫌いで得意なこと」例えば、甘いものが嫌い。だけど、なんらかの理由(家がケーキ屋だったとか)でケーキを作ることを小さい頃から強いられてきたことによりやらされている感がある。だけど、小さい頃からケーキと接してきたことで、技術は十分、味も組み合わせも発想も申し分ない。

技術面としては仕事として通用。むしろ私情を挟まず、割り切って淡々と仕事をすることができるかもしれない。だけど好きでもないものを続けるのはどうなのだろうか。

 

人間、得意なことが嫌いというのは珍しいかもしれない。嫌いより、特別好きではないのほうが表現としては正しいかもしれない。できるということは楽しいに繋がる。

生まれ持ったもの、自分が難なくできること、自分にとってはそれが出来て当たり前のこと。それが人それぞれあるかと思う。ただ、それに気付くこと自体がが苦手なことに気付くよりも難しいと思うし、人から言われて自分ってそうなのかな…?(半信半疑)と思うくらいな気がする。

 

じゃぁ、得意だから好きなのかと言われたら、それもそうとは言い切れないところがあると思っている。逆に特別嫌いではない。と言える。そんなに大層なことじゃなくてもすんなりと出来てしまうことは、得意なことだ。特別好きだからしているわけじゃなくて、できるからさも息をするように当たり前にしていることだって多いはず。

 

じゃぁ、好きだけどできないことは…?できないなりに頑張ったらできるようになることもあるし、できなくてやってもやっても全然できないこともある。できるようになりたい!とそれが気持ちに火をつけることもあるけれど、周りはすんなりできるのに自分だけができないと気持ちがしぼんでいく人もいる。努力=結果に必ずしもつながるわけではないこと。それが好きだから、私はこの世界になんらかの形で関われたらそれでいいのだと思うのもいいかもしれないし、潔く趣味の範囲でしていくことも幸せなのかもしれない。

 

 

好きだけど仕事にしてみて、嫌いになりそうなんてこともよく聞く。

好きだけどどうしてもできなくて諦めたということも。

と考えたら特別好きでもないある程度得意なことを仕事とする方が、リスクはすくないのだろうか。

それなら嫌いになろうが好きになろうが気持ち的にはどちらでも苦しくないのだろうか。

 

本当に分からなくなってきた。

だけど、私が本当によく思うのは、好きなことをしていきたい。自分の好きは得意と「=」なのだろうか?それとも苦手と「=」なのだろうか?

その好きなことの中でも色んな業務があって、その中でもこれは得意だけどこれは苦手ってこともある。

「仕事」となるとやっぱりまだわからない。

仕事としての関わり方と、やり方と。雇われるのか、雇われない生き方もあるのか。私の中の仕事の立ち位置とはどこだろう。

でも1つ言えるのは、数年前と今の私ではその立ち位置が変わりつつある。けれどまだまだ模索中である。