ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

カフェにて

お昼の時間にケーキしかないカフェに行く。
お客は私1人くらいだ。
2階のお店で窓際のカウンターに座る。
歩く人が見える。
思わず目を剃らしてしまうけど、こちらに気付いている人はほとんどいないだろう。

人混みが苦手なので極力時間をずらして行動する。


頭を使って計画を練る人、企画を考える人。
お金の計算をする人。
ネットの導線を作る人。
実際に手を動かしてものを作る人。
営業する人。
お客にものを売る人。

いろんな人がいるけど、私には何ができるのだろう。
今の時点で私ができることって、ものを作る。
かろうじてお客にものを売る。
くらいだ。
しかもどちらも自信満々にできます!と言えるほどでもないし。

苦手なことは無の状態から頭で何かを生み出すことだ。
お金のことを考えることだ。
人と何かするとなると、人の意見を聞く方に回りがちで人に物事を言うこともだ。
動きや行動自体にも遠慮が出る。

手を動かしてやり初めると、意外にすることが浮かんだり体が勝手に動くみたいなところがある。
1人でするなら意外とてきぱきするし、頭のなかで行程や効率を考えることはできる。
それを紙に書き出すのがなぜか苦手。
書いてしまうとそれを見つめて、いや、やっぱりこうかな?いやこうした方がいいかな?とどんどん沼にはまっていき、ドキドキがとまらなくなる。

時間に追われると苦しくなる。
早くやろうと思うと、雑さがでてくる、ただの作業になってしまい、何のためにやっているのかを見失ってしまう。


何がしたいかと言われたら、わからない。
もう少し、内輪だけでない人と接したい。
全体を把握したいが、自分のキャパは越えたくない。
全部自分でやりたいのだろうか?
現実的案が浮かんでこない。

自分が人になにか渡せていたらいいと思う。
更にその実感が欲しい。

規模が広かったり、人が多かったり、いろんな展開を手広くしているので、それを全て知ろうとする時点で気が遠くなる。
一つ一つやっていけばいつかは多くを知れるのだろうけど。
私は1から積み上げていく方がきっと得意だ。

大勢の中の1人にもなりたくないらしい。
目立つのも苦手だけど。


そんなことを考えていると、スタッフ募集をしていたのか、面接が始まった。


20代くらいの女性。
姿は見てないけど、声だけでやる気と明るさと自信が伝わってきた。
自分をアピールするのが上手だと思った。
面接なので、そりゃ多少造ってまで自分をアピールしなきゃいけないのだけども。
私はこの歳になってもあんな風には、自分をアピールはできないかもしれない。
今度は趣味の話になった。
面接で趣味って何で聞くんだろう?と考えてたら、ジムやダンスと言っていて体力には自信があると答えていた。
お手本のような面接が繰り広げられていた。


また自分と比較してしまったと思っているとき、
この間の本に、心の守り方は「スッキリ」と「モヤモヤ」の2種類あると書いてあったことを思い出す。

「スッキリ」
衝動買いをする、甘いものを食べる、断捨離、カラオケ、運動をする、友人とお喋り、人間関係の整理、環境を変える…
⇒傷つき(自分ではないものにさせられる)を心から追い払うこと
⇒心の老廃物(自分ではないもの)を排泄してすっきり
⇒自分らしさを取り戻す

「モヤモヤ」
人間関係がうまくいかない、仕事が行き詰まる、嫌なことを言われる…
⇒それらを心に溜め、内側で消化する
⇒うまく消化できればある程度のもやもやは自分の成長や成熟に繋がる


これらのバランスが大事。

スッキリばかりしていたら、それを聞かされる周りの人にもやもやが移って(この人はマイナスのことばかり言う)と人と距離ができたり、せっかくの助言をマイナスにとらえて成長のチャンスを逃してしまったり。
逆にモヤモヤを溜めてばかりいたら、それこそ心が壊れてしまう。

じゃぁ、なにを基準にして判断するのか。
『周囲に、もやもやを一時的に肩代わりしてくれる人がどれだけいるか』
らしい。

周りの人も余裕がなければ誰かのモヤモヤを聞いている場合じゃない。
その場合、モヤモヤは増殖されてしまう。

『頼れる他者を確保した上で、モヤモヤに向き合うべき』で、孤立した状態ですると危険。


つまり、まず、モヤモヤは置いておき、「人に頼る以外のスッキリを優先する」ということだ。
初めから、安全な他者がいることを分かっていたらモヤモヤに取り組んで、自分じゃどうにもならないときにSOSを周りに出したらいいのだろう。
でも、モヤモヤは自己解決するものだ思ってきた私は、どんどん溜め込んで誰にも話せないまま、消化もできないので蝕まれていく。
どうしようもなくなってから感情をぶちまけるようになってしまう。

なにかあると、必ずモヤモヤする私は、
人に頼る選択肢があることを頭にいれておく。
いきなりは無理だから、とりあえずはなにも考えず、自分のしたいこと、心身が緩むための生活を優先する。
したくないこと(自分ではないもの)を排除する。
すると自分が取り戻せ、人と繋がる、頼る活力がなんとか湧いてくる。
自分の中のモヤモヤときちんと向き合うことができるようになる。

私はここのところ、あーでもない、こーでもないと「スッキリ」をひたすらしていた。
スッキリも一発で全部を削ぎ落とせない。


なんとか今、人に頼る、様子を見て弱音を吐こうかと考えたり、自分の気持ちを見つめて向き合うことに心が向いてきたのだと思った。
ここに言葉にして書けるのもその証拠だと思う。


なにも考えず、好きなようにして、好きなように感じる。言葉にする。
それが、心も体も自分らしくいられる方法かもしれない。



カフェにいただけなのに、
こんなに沢山のことを考えてしまった。