ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

隣人が引っ越した

ある朝、隣の部屋から大きな音が響く。

隣人がDIYをしているのかと思っていた。

出かけるからと、その部屋の前を通ると業者が入っていた。

 

あ、空き室になったんだ。

 

数日前までは普通に隣人が帰ってきた音を聞いていたりしていた。

いつの間に?ってなんだか空虚感に襲われた。

引っ越してきた時に一度挨拶にきてくれただけで親しくしていたわけでもなく、正直言えば全く、全く関係のないことなのに。

 

なんでこんな気持ちになるんだろう…

 

1つは、一種の仲間意識?

私は安い6部屋しかない賃貸に住んでいる。

だから、交流はなくとも住民の顔はどの部屋の人も分かる。

つまり、一つの家として捉えていたのかもしれない。そこに薄い壁で区切られた部屋に人1人ずついるだけ。

あ、今どこの部屋の人出ていったな、帰ってきたな。気持ち悪いけどそんなことを感じていてそれでちょっとだけ人の存在を感じていたのかもしれない。

 

 

1つは、置いて行かれた感、私だけ止まっている感。

今までも、上の学年の卒業式だったり、家族が引っ越したり、人が退職したりするときに同じことを感じている。

私よりあとに越してきて、去っていったから尚更なんだと思う。

あの人は新しい環境や生活に向かったんだな。次に進んでいるんだな。じゃぁ、私は?このままでいいの?ここで止まっていていいの?私も動かなきゃいけないんじゃないの?と感化される。

そんな気持ちとは逆で、大きな動きは特に起こさなくて、ジレンマが生まれる。

私はどうしたいのか。どこに向かいたいのか。何がしたいのか。すこしの焦り。

 

 

1つは、当たり前だと思っていた日常はあっけなく消えるという感覚。

これも、毎朝駅のホームや電車の中には同じ時間に大体同じメンバーがいて、ある日突然いつもいた人が居なかった。

みたいなことでよく体験している。話したことも何にも知らないけれど、毎朝繰り返し顔を見ているだけで勝手に親近感を抱いている。

そういう時と同じ感覚を抱く。

 

ということなんだろうな。

 

「平凡で、ありふれていて、変哲もない14の窓の一つ一つの向こうにある日々は、誰にとっても、おそらくその部屋をでてゆくまでの暮らしであるにすぎないだろう。

部屋を借りているのだが、ほんとうは部屋を借りているのではない。部屋を借りる仕方で、借りているのは自分の人生だ。長距離の寝台列車のような、途中の暮らしだ。

とりあえずの時間。

とりあえず1日が終わる。とりあえず朝になる。とりあえず雨の日がある。」

(長田 弘)

 

カーテンがなくなったがらんどうの部屋を見上げる。