「自分に気付く心理学」 加藤諦三
を読んだ。
この本は
「神経症的な人は甘えの欲求や愛情欲求の自覚をしなさい
うまくいかない人付き合いや不安や苛立ち無気力根本的には、この甘えの抑圧や愛情の飢えから来ている。
まずは自分に気付くこと。それは同時に周期に気付くことでもある。」
ということが書かれている。
一冊かけて、「自分の思うようにいかないと不機嫌になる父親」「自己評価が低い人」「依存性の強い人」「共生関係にある人」「他人の目が気になる人」「子を思い通りにしたい母親」…まだまだ様々な例をあげては、甘えや愛情の飢えからくる言動と説明がつらつらと書かれている。
幼いころにきちんと甘えられて愛情も
受けてきた人は精神も成長している。
その欲求が満たされずに年齢を重ねてしまった人は、体こそ成長したものの中身が3歳児のままだったり6歳児のままだったりする。
そのような人は大人になって、3歳児のようにふるまう事ができないことは分かっているから、抑圧して、甘えを正当化や合理化しようとして恩着せがましい言動や不機嫌な態度になる。
なので前者は容易にというか考えなくてもできた成長も、後者にとってかなり困難なこととなる。
自分の抑圧は他人に投影されている。
後者は、自分の抑圧したものを他者に見て苛立ち、不信感を感じる。
とある。
内容としては、今まで読んできた同じ系統の本と重なる部分も多かった。
とくに「ラポールと身体知」も「自分に気付くこと」や「自分の中にある感情を他人をみて感じている」ということは強く書かれていた。
あとがきに「これを読んで、自分の何が満たされていなかったかに気付いてくれればそれで十分である」とあるように、本当にそれに気付かせるためだけの本に思う。
著者も相当自分を変えるのに苦労をしたと書いているものの、具体的にこんなことを意識したということは微塵も書いていない。
「気付く」ということがどれほどに重要なことか。
一冊かけて書かれていることからわかる。私の数少ない経験からも。
「とにかくそれに気づくこと。変わりたければ自分で考えて実践していきなさい。気付いた時点でスタートは切ったのだから。」
と言われているような本。
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私も意識化できているものはなんとかしようと試しているけれど、まだまだ無意識に自分の中でパターン化している反応によってお決まりの流れがあるのだと思う。
幼少期の周りとの関わりの中でよく覚えていることは、確かにそれによって傷つき自分を隠し作ってきた出来事だ。
じゃあそれを今からどうすればいいのか。
仮に、甘えたいのに甘えられなかった。のなら、今からそれをどうやって満たせばいいのか。
そもそも、
「甘えられたいのに甘えられなかった?本当に?いやいや、甘えてたよ。それこそ自分に甘いでしょ。」
という自問自答が生まれる。この時点で、甘えられなかったと肯定することに罪悪感を持っている。何の罪悪感?それはきっと近い近い存在に。その人を悪だと決めることに恐れがある。
本には、「憎むべき人を憎まない人は、大切にすべき人に冷たくしているに違いない」
とあるが、これも感情と事実の切り離し。
なかなか気の遠くなることの繰り返し…
成長に終わりはありませんね。