コンビニで2通りの店員さんがいる。
1つは「スプーンはご入用ですか?」と確認してくる店員さん。
1つは何も聞かずスプーンとたまにお絞りも差し出してくれる店員さん。
これは、どちらがいいのだろう。
わたしは、前者が親切だと思う。
後者は、親切心はみえるが、コミュニケーションを放棄しているとも見える。
もしかしたらお客はスプーンは要らないかもしれない。
そのとき、「スプーンいらないです」といえば言いのだが、差し出されるなら貰っておこうという人が多いかもしれない。
これもまたコミュニケーションの放棄だと思う。悪循環。
元々コミュニケーションに長けているひとは、言えるのだとは思うけど。
ということを最近よく考える。
それは普段の生活でも言える。
いちいち言うのは面倒だ。とか、察してよ。とか。あるけれども。
人のことは分からない。
仕事上、大体の流れがあって、この人が今これをしているから私はこれをして、次はあれをして、というのを頭で考えてする。しなければならない。
次はこれを使うからこれを準備しておこう。きっとこれは次あの人が使うから出しておこう。
そのときに、全部全部無言でするのは、意思疎通ができているともいえるかもしれないけど、少し違うなと思う。
阿吽の呼吸ともいうけれども、もしかして、その人、それはいらなかったかもしれない。別のことをしようと思っていたけど、それを出してくれているから、先にそっちをしようとペースを乱しているのかもしれない。
お互い言わないと、分からない。スムーズなようで精神上に滞りが生まれる。
いちいち、「次これしますか?」「これだしときますね」というのは、慣れない新人みたいで鬱陶しいかもしれないけど、そうやりとりが手軽にできるのも大事だ。
元々、察してよ。言わなくても分かるでしょという私だった。
今は反省。分かるわけない。
コミュニケーションは放棄してはならない。