ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

私の好きな人

最近、ヒグチアイの新曲がでた。
「悲しい歌がある理由」

そのMV公開前にYouTubeとインスタで座談会があった。
その中でこんなことを話していた。

「ずっといいたいのは
言葉にしたら
あの曲を聴いたら心が痛くなる
あの曲を聴いたらこれを思い出すから絶対に聴きたくない
という名前の曲になっちゃってる
ことが切ないという
……
私はローズマリーが元々好きじゃなくて
今日食べて美味しかったの。
自分が変わってるのにローズマリーが美味しくないという感覚になってたら食べなかったと思うの。
でもローズマリーが入ってると知らずに食べちゃったから食べれることになったことに気付いたの。
そう言う風に自分の言ってしまった言葉を更新していくことは絶対に大事だと思っていて
人を恨んだまま死にたくないなって究極思ってる
なるべく色んなものを食べられたほうがいいし、色んな曲を聴けた方がいいなとそういう意味合いで作った曲でもあります。」

と。
やっぱりうたを書いている人は言葉にするのが上手い。
伝えたいことを伝える自分の言葉を持っている人だ。
自分というフィルターを通して内側を上手く表現できる人だ。


「自分が変わっているのに、今までこうだったからという決めつけと思い込みで可能性をつぶしているのはとても勿体ない」
ということだよね。
私も変化が怖いから、そうしちゃうこと多い。

「これが美味しかったから今日もこれ!」
前回の記事にも通じるけど、
「安心するからいつものこのお店!」
「この人にこんなこと言われて嫌な気持ちになったからもう話したくない!」

知らないで狭めてるのと、知った上で選んでいるのとはまた別の世界。
いつの間にかもう大丈夫になってることって意外にあるというのもよく分かる。
それに気付くって、気付けたことを褒めてあげなきゃいけないくらい素敵なことなんだよね。

私が最近思うのは、
「好き」と「嫌い」の両極端じゃなくて、その輪郭をぼやかして、その境界線を薄めていく。
その2つの距離は近づかなくとも、間にたくさんのものがあれば。
その沢山に感情をもたなくとも、ただあるだけでも増やしていれば、何かで困ったときにそこがなんでもない救いになることもあるかもしれない。
何かを拾うことができるかもしれない。選べることが増えるだろうなと。



「自分のいってしまった言葉を日々更新していくこと」
というのも、変なプライドがあったら、この間いった意見をころっと変えられない!みたいな思いが出てきちゃうこと多い。
その言葉にしがみついてしまって、自分はもう違うところにいるのになかなかその場所から抜け出さないことも多い。
「変わっていいんだよ」
って言われているみたい。凄く強い言葉。

「更新」っていう言葉の選択も強く印象に残った。
更新って前向きにとらえられるからかな?
上書きだったら、前の自分が否定されたように思えちゃうけど、更新は続いていくイメージ。前のを踏まえた上でどんどん増えていく感じ。
咄嗟にそういう言葉が出てくるって素敵だなぁと感じだ。


私の好きな人の話でした。



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