ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

なんでも見つかる夜に、こころだけがみつからない / 東畑 開人

臨床心理士の方が書いた本。

ヒグチアイが書評を書いたとインスタのストーリーズで紹介していて、なんとなく気になって購入した。

好きな人の紹介の方がすんなり入ってくる。

色んな所にきっかけがあってありがたい。

きっかけはなんだっていいのだ。

 

 

この本は、人生で迷子になった「夜の航海」をしているあなたへの補助船。

実際にしているカウンセリングのように、著者とあなたで進んでいく。

 

まだ全部は読んでいないけど、2/3くらいを読んだところでお腹いっぱいになってきたので、ここで1度外に出しておこう思う。

 

 

その中の第3章の引用と要約

 

 

「働くことと愛すること」

 

ここでは、バリバリのキャリアウーマンが眠れないと相談にやってきた例が書かれている。

この女性の悩みは、眠れない。あと眠りだけ安定したら私の人生の生産性が上がるのに…

という内容。

彼女は、こうした仕事以外の場所でもまるで取引先の人と話しているような丁寧すぎる言葉遣い。

仕事はもちろんのことながら、生活全体がTDCAサイクルで行われており、人生がビジネス1つというひどくシンプルなものになっていたよう。

 

 

私たちの人生を2つに分けると、「働くこと」と「愛すること」になる。

これは心理学者フロイトの言葉。

 

 

 

「働くこと」

ここでの働くことは、お金が発生することだけではない。

ボランティアの清掃、夕食の準備、町内会の集まり、子供のお手伝い…

そんな広い意味をもっている。

そのタスクを1つ1つ片付けていくのが私たちの人生。

 

 

「愛すること」

それ自体が目的。

友人と会う。恋人と過ごす。亡くなった人を想う。

好きなことに没頭する。

 

 

「働くこと」は、「する」こと。

「愛すること」は、「いる」こと。

この2つのモードが複雑に絡みながら人生はできている。

が、この2つは混ざるとよからぬことが起きる。

 

 

 

 

つまり彼女は、「働くこと」「する」ことに「愛すること」「いる」ことが乗っ取られている状況。

それは彼女の家庭環境が作り上げたもの。

 

 

「眠る」「休む」について

1人でできることのように思えるが、他者がなんらかの形でいないとできないもの。

赤ちゃんが、1人で眠れないのはこの為。

安心できる誰かに傍にいてもらう必要があった。

1人で眠れるようになるのは、時間を経る中で、その誰かが心の中に内在化されたkら。

不安な時に眠れなくなるのは、心の中の他者が危険になってしまうから。

 

つまり、心の中に「愛すること」「いる」が存在しないと眠ることはできない。

 

 

不眠症の彼女の人間関係は至って良好にみえたが、彼女の中でそれらは、「自分がサービスを提供し続ける限りにおいて存続するもの」と感じられていた。

相手のニーズを満たすことに失敗したら、両親のように手のひらを返し、裏切るに違いない。

彼女の中で他者は潜在的に敵だった。

 

 

彼女は「愛されること」はあったけど「愛すること」がなかった。

他者を「敵ではない」と感じられること。他者が安全であると信じられること。

そういう他者が現実にせよ、心の中にせよ、「いる」こと。

それこそが「愛すること」の正体。

 

 

 

彼女が置かれている状況は、「愛すること」に支えられていない「働くこと」

⇒常に敵に取り囲まれるリスクにさらされている。

 

他者は危険なもの → 他者が敵になるリスク回避 → 他者を遠ざける → 遠ざけるほど危険な存在へ

 

接触すれば怖くない部分があることがわかるけど、避ければ避けるほど心の中で怖い部分だけが増幅されていく。

 

彼女は眠れるようになって生産性をあげたい。

といっていたが、彼女の本当の問題は

「他者への怖れでぱんぱんの心のを自分ではどうしようもなくなっている」

と言い換えられる。

 

この女性が取り組むべきは…

 

危険なものがいっぱい潜んでいる海で、「いる」を確保するにはどうしたらいいか。

危険なところもあるけれど、そうじゃない部分もある他者と、いかにすれば、一緒にいられるのか。

つまり、人と人はどのようにしてつながり、関係を深めていくことができるのか。

 

 

これで3章は終わり。

 

 

とても痛い。

これは私のことだ。

これを読んで自分のことだと思う人は沢山いるかもしれない。

気付いていた。「いる」がない自分。

こういうことか。と思った。

昨日、書いた内容の根本的なものはこれだと思うし、私も眠れないのはこれが関係しているのかもしれない。

前までは人がいたり、電車の中だと眠れたのも、今は眠れない。

今、恐怖心のピークなのかもしれない。

そして「いる」がない状況で「働くこと」をしている。

何か成果を出さなきゃ価値がない。ミスをしたら呆れられる。

客観的にみると、「いる」は現実的にはあるのだ。

むしろみんな一緒に考えようとしてくれるし、助けようとしてくれる。

けれども、なんということか、私の心の中には「いない」

見えているけど、入ってこない。別世界にいるみたいに。

相談するのが怖い。頼むのが怖い。なのに自分は、しっかりしなきゃ、指導しなきゃ、成果を出さなきゃ。

って。

表は普通に見えるかもしれなけど、恐怖心でいっぱい。

そんな自分を知っているからこそ、言われたら、そんなことは自分が1番知ってる!どうしたらいいか分からないの!と苛立ちに繋がる。

人のせいじゃなくて、自分の問題だ。

 

 

次の章から、その取り組みについて書いてあるので読み進めていこうと思う。