ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

わたしのこと

私は置いていかれるのがとてつもなく悲しいんだと思う。

人と居たのにその人が突然先々行っちゃう、いなくなるのがどうも耐えられないみたい。



小さい頃の記憶がいくつかある。



旅行中、家族でエレベーターを待っていて、私が乗り込んだら閉まってしまい私だけ上がっていったとき。

畑に私は自転車で行っていて、母や姉は車できていて、野菜をとったしと帰ろうとなり、もちろん母と姉は車で帰って取り残されたとき。

お風呂に姉ふたりと入っていたけども、私がおならをしたら(笑)2人とも汚いと急に飛び出して取り残されたとき。




どれも現象として、流れでそうなるのが普通で自然なことに思える。


けれども、感覚的に身体的に寂しさを感じる。
胸のうちからじわじわとせりあがる。
それはさみしさだけれども、少しの怖さもある。
さっきまで皆の姿や声があったのに、私ひとりになったときの静けさに襲われる。

待って。一人にしないで。置いてかないで。
悲しみが一気に沸き上がってきて泣き出しそうになる。



幸せを感じているなか、引き離されたショックなのか。
私を置いて皆が笑っていることへのさみしさなのか。


なぜこういうことを考えたのかは、仕事で一緒にしている子が先々進んでいくから、待ってーついてけないーって思い、これはどこかで感じたことがある感覚とよく似ていると思ったから。


よくよく考えたら、もっと仕事のことと繋がる。
会社が大きくなると見えない部分が増えるのが苦手なのだ。
ぼんやりと不安になり、自分がどこに立っているか分からず、興味を失うのは、置いてけぼりにされた気持ちになるからもあるのではないかと思う。
一人一人が自分の持ち場を頑張っていれば良いのだけれども、どうしても誰が何をしていて、それはどんな気持ちからしているのかを知りたい。
振り幅はあっても、できたら皆が同じ方向へ向かっていたい。

見えないものに私は、興味を持てず力になる気にもならず無関心になってしまう。
同じ会社で同じ建物にいるのに、あの人、何してるんだろ?元気なのかな?これはどういうことなんだろ?なんでこうしたんだろ?みたいにざわざわする。



どれも嫌がらせで置いていっている訳じゃなく、きちんと物理的な理由がある。

それなのにこんな風に感じてしまう私は、根本的に一人ではとてつもなく不安な人間なのだろうか?



最近も、自分のことをいつのまにか考えてしまう。