ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

おつかれさまで

何にもない。

ただただそう思う。

何にもないな。

寂しくなるのは何にもないから。

その通りだとおもう。

 

やりたいことはやりたいときにやっておくこと。

じゃなきゃやりたいことは無くなるから。

本当にそうだな。

何にもない。

 

私にはなんにもない。

それ以外浮かんでこない。

 

 

必死に戦っていますって味方ばかり集めたんでしょう

暫定一位の称号 磨いて安心感

できるできない やるやらない どっちつかずの分かったふりで

何もない天秤の真ん中だけ守ってた

 

ヒグチアイ / わたくしごと

 

私の生き方ってこんな感じだなぁ。

そしてそれがあまりいいとは思っていない。

味方がいるって大事だし、味方の中でやるのも一つの手。

帰る場所、自分の居場所がないとね。

でもそんな自分に厳しい。甘い。と。

この詞が分かるってことは、似てるところがあるんだろうな。

まぁ、この人は結果だしてるから強い人だなぁって思う。

なに同等に見てんだって話だけど。

私は人を同等に見てしまう。たまに前提条件を忘れて同等に見てしまうから、それが仇となることもある。人間味、社会性に欠けているところがあるのかもしれない。

 

 

私には憧れというものがある。

憧れというのは自分にないものなのだ。

ないから輝いて見える。

例えば、老若男女関係なく大勢の集まりを楽しむ人たち。

いいなぁ。憧れる。けど、やっぱり疲れる。緊張する。

沢山の人に顔が知れていて、いつも違う友達を連れている人。

顔が広くて繋がりめっちゃあって凄い。けど無理をしてまで出来ない。どこかで不調が出てくる。

仕事終わりに遊びにいって次の日元気に仕事している人、休みの日もアクティブ。

私も仕事も遊びも楽しみたい!けど疲れる。

仕事中心に生活が回っている。自分なりに意味を見いだせないものに時間を使うことは好きじゃない。

 

どう頑張ってもできない。なれない。

憧れとは自分にないもので、その反対が自分にあるもの、自分そのもの。

憧れは憧れのままなのか。

なりたいのなら、覚悟をもって踏ん張って近づかなきゃいけない。

いつも自分が自分に課している。

でもそれが本当にいいものなのかわからない。

 

先に希望や展望がないから寂しさがあるんだろうな。

 

最近毎朝、心地よく朝を迎えるために

「わたしのしあわせ」

を聴いてる。

わたしのしあわせは

だれにも

「わたせない」「さわれない」「はかれない」

あー、でも、わたしにも、さわれない。

立ち尽くしてどっちだったか、一回転見渡してもわからない。

なんにもない。

 

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今の職場、あと2日出勤なのに、しんどすぎて頭が回ってないだけだ。

統制がとれてないけど、私がいなくなるから今真面目に考えてもどうせすぐかわるから放置、とにかく突き進んでいる感。

しんどい。

けど真剣にスピード重視してやらないと終わらないじゃん!

とにかく必死なんだよー。

でもからだしんどいよー。

しんどいからってペース落としてたら夜までかかっちゃうよー。

夜までしてたらすぐ次の日来ちゃうよー。

そんなの無理だよー。

 

という嘆き。