電車に乗っていた。
イヤホンで音楽を聴いていた。
目の端っこで人がよろけた。
それを支える人がいた。
隣の人が席を立った。
よろけながら席に座るのは妊婦さんだった。
私は気付かなかった。
席を立った人以外はみんな同じだから自分だけを責める必要はないだろう。
けど、それだけ周りに目を向けてない、自分の視界の狭さにがっかりした。
妊婦さんを、支えたのは旦那さんかそれともただの同乗客か。
聞いて旦那さんなら席を立って一緒に座ってもらえばよかったものの、それさえもしなかった。
少しの罪悪感を背負った電車の時間。
---------------
集団の中の1人だとか、大勢の中で働くことに魅力を感じてこなかった私。
最近、少しチームだからこそ沢山の人を集めることができるのかもしれない。と思った。
色んなタイプの人がいるから、色んなタイプの人が集まる。
お店をひとりでするとする。そしたら、その人の個性しか表現できない。
すると、それを好む似たような人が集まる。
でも同じ様な人しか集まらない。
それはそれで狭く深くの世界で素敵だ。
何人もの人がいて、日替わりに接客をする。
うまくいけばそれぞれのスタッフにそれぞれのお客さんがつく。
人によればこういうタイプはちょっと苦手とかあると思う。
偏見があるかもしれないけど、やっぱり人間だからそういうのあるのは仕方がないと思う。
でもそれを、補え合える。
得意なタイプ苦手なタイプがそれぞれ違えば、さまざまなタイプが1つのお店に集まる。
広く浅く。
それは1人では絶対にできないこと。
相変わらずチームプレーはうまくないし、うまく喋れないときも多い。
でもそれを苦手だと分かってくれている人がいるのはありがたいと思う。
そこに甘んじてはだめだけど。