ordinary day

思ったことを気ままに。日々向き合って、自分や生活を心地よく。人を照らせる人間になりたい。音楽やカフェ、旅や自然。

鬱憤

私は、自分の行いや起こったことに対して自分がどう感じているかをしっかりと味わう時間が必要なのだ。

それは自分にしかできないから、誰にどう、「こうだったよね」って言われても、それは自分が本当に思っているかまだ分かっていないからどうも言えないし、分かったように言わないでって思う。

 

しかもまだ自分が感じきれていない、その間に次々と状況が変わっていくと、滞りを感じるのだ。

それは置いてきぼりにされる感覚と近い。

実際置いてきぼりなのだが。

みんなは状況を先へ先へ進めているのに、自分だけそこで止まっているから。

 

それは悲しみでもあり、怒りにもつながる。

悲し過ぎて怒っているのだ。

 

 

私のそれが、必要なプロセスかは分からない。

通り過ぎてしまえば感情がそこで留まらないからむしろ楽なのかもしれない。

必要ないところにコミットしても別になにも生まれない。

好転も変化もない。

ただ、負の感情をしっかりと浸透させる作業でしかない。

のにもかかわらず、私にはそれが備わっている。

 

でも、否定したら私は私を否定することになるから、それはだめだと思いつつ。

 

鬱憤を晴らしたいし、言葉にして吐き出したいのに、自分の感情を探しにいって時間が掛かるがため、その時はことばにできず、自分の中で気持ちがわかった時は周りはもう忘れてて時間遅れで誰にも聞いてもらえず、私の中に溜まる。

 

 

一つもスッキリしないし、周りには何考えているかわからないと思われて辛いので、こんな自分が嫌だとも思う。

 

そして、わがまま出せる人の前では不機嫌になってしまうし。

ここで、愚痴をぶちまけられないのが私の悪いところ。