ordinary day

思ったことを気ままに。自分を構成するものとは。他者とは。旅や自然。

武田尾廃線敷き 2020.9.15

数年前からあそこは良いよ~。
と聞いていた、武田尾廃線敷に行った。
ようやく、このタイミングで。

幾つか行き方はあるみたいだけど、西から行くので
今回は阪急西宮北口から今津線で宝塚まで。そこからJR宝塚線へ乗り換えて、生瀬(なまぜ)駅で下車。そこから歩くことに。
この時点で、11時くらい。

駅からは廃線敷き入り口まで意外に歩く。
大きい道路と武庫川沿いを20分位は歩いた。
最後小道を抜けて入り口へ。

f:id:ymcvsss:20201005184333j:plain

川の音、鳥の声、木々。
気持ちいい。



北山第一トンネル前はドキドキ…

f:id:ymcvsss:20201005184426j:plain

ついに噂のトンネルの中へ!
どんな感じかと思いきや、一つ目は意外に出口の光がすぐ見え、これならライトはいらないや。という感じ。


とにかく突き進む。
最初のほうは、平日だし、紅葉にもまだ早いので人が少なくて人がいなくて自然と私だけだった。

f:id:ymcvsss:20201005184938j:plain




北山第二トンネル。
ここは、長くてドキドキした。
ライトの光、目が暗闇に慣れていく感覚、ゴツゴツした地面、滴り落ちる水の音、遠くで響く人の声、だけど私1人。
怖いようなわくわくするような。
出口の光が見えたときはほっとした。

f:id:ymcvsss:20201005185232j:plain


綺麗。

f:id:ymcvsss:20201005190141j:plain


トンネルを掘り進んで、外と通じたときの感覚と同じだろうか。
これまた違うのかな。
このトンネルを掘った人がいるんだよなぁ。そもそも、ここを電車が走っていたんだよね。
普通に電車に乗ってガタンゴトン揺られても楽しめるだろうな。今はもう出来ないけど。
なんて思いながら。


途中、自然のスポットライトを楽しんだり。
f:id:ymcvsss:20201005185501j:plain



溝滝尾トンネルを抜けると…

これが噂の第二武庫川橋梁
f:id:ymcvsss:20201005185759j:plain


f:id:ymcvsss:20201005185830j:plain


どんどん進む。
時間的にか、展望広場辺りを過ぎたらすれ違う人や、お弁当を食べている人が増えてきた。

途中、親水広場や桜の園とかいく場所はあったけど、この日はせっかくきたのに突き進むことしかしなかった。

f:id:ymcvsss:20201005190551j:plain




どんどん歩いて、武田尾駅方面の出口へ。


駅までは10分位。
なんだか、落ち着く駅だった。
f:id:ymcvsss:20201005190937j:plain


f:id:ymcvsss:20201005190857j:plain





かなり整備されていて歩きやすかった。
今回は2時間30分くらいかけて歩いた。なんだか気持ちがせかせかしていて、ただただもくもくと歩いてしまった。
もっとゆっくりしていくと1日楽しめそう。
夏は親水広場で遊んだり、春は桜、秋は紅葉。
いいかんじ。

自然は、いまここに在る自分と向き合える。
自分だけの時間。
まちを歩くのとは全然違うものがある。

うるさい

何かが違う。
何のための自分なんだろう。

「気にかけて欲しい。 面倒を見て欲しい。 お節介になってほしい。それで辞めるのはもったいない 。上の人間が 環境を作ってあげなきゃ。
自分たちでやりやすい環境を作っていって欲しい。 」
それはごもっともだと思う。
けど 頭でわかってても私にはモヤモヤするものがあった。 喉の辺りで何かがつかえている。
感情、 言葉にならない想い。それはきっとここで出してはいけない想い。

このモヤモヤは何なのか。
自分は甘えたいのかな。
じゃあ私のことは誰が見てくれるのなんてことを思ってしまった。
社会として組織として、上の人が下の人を気にかける。それは当然のこと。
なんだけど、たまに思う。
年齢とか関係なくない? あるけど。 余裕がある人が、 心に余白がある人が、それぞれがそれぞれを 気にかけていたら いいのでは···??
それって違うのかな。
人間関係ってそうなんじゃない。仕事云々、スキル云々置いといて、 そこからじゃない?
最近また傷ついた これも被害妄想なのかな。
声をかけても 届かない時ってある。
そういう時は もう放っとこうってなる。
私も人、相手も人。 噛み合わない時もある 。
けどそれをスルーするスキルが私にはまだない。仏みたいな心は持ち合わせていない。 どうしても傷つく。勝手に。だから、もういいや。
なんて思っていたところ。
自分だっていつも 面倒見てくれましたか?
私のためというより、 会社のためなのでは?
なんて思っている時点で負け。この思考がもう未熟。
言いたい事が言えない。言うこと自体諦めている。
信じられない、人も自分も。 私はもう、ここにはいない。


「 自分たちでやりやすい環境を作っていく」
当たり前のことだけど私はそれをやってこなかった。
昔から我慢すればいい。
あるもので。どうせ声を上げても意味がない。声を上げるのも面倒だ。 と諦めてきた。
言わないとわからないのに。変わるものも変わらないのに。それが染みついている。
より良くする方法は そこら辺に溢れているのに。 それさえにも気づかない、見ようとしない。 今揃っているもので 周りにあるもので充分とは言えないけれど、それでしか手段がないかのように、閉じこめられているかのよう。一向に声を上げることをしない。
遠慮がち、控えめと言われるけど、そうじゃない。ただただ言っても無駄だと諦めている。尚更たちが悪い。
そういう生き方をしてきた。 それが周りに回っている。
どうしてそうなったかは、過去からの積み重ねなのだろうけど。
それよりどうしていけばいいかに目を向けられたらいい。
最近 ようやく「自分が心地よく生きるためには どうしていけばいいか」 それを考えるようになったのだ。
少しずつだけど 動いてもいると思う。時間の使い方も 変わってきたと思う。ようやくだ。
我慢しなくてもいい。我慢は美徳ではない。より良くするために自分で動けるほどにはもう大人だ。
でもその「自分のため」にさえ、まだ染み付いていない。
そんな中で、人のためにが出来ない。
やろうとしても何かが違う。からまわる。

一体、私に何を求めているんだ。
人としてまだまだなのは承知なので、私のペースでいかせてください。

という鬱憤。
今日の一曲は
「うるさい/SUPERBEAVER」
に決まり。

で、切り替えよう。
良き1日に。

ドリップコーヒーのWSにて。

昨日と今日、自分のなかでイベントがあった。
思考的には繋がっているのだけど、今日の方の出来事を…


コーヒードリップのワークショップに行った。

学んだことは

『正解はない』

ということ

『これだけはよくない、しない』

ということはあっても、

『これだけが正解』

というものはない。


大前提は、『全ては好み』

その人が満足できているなら、正解。


だから、自分の『好き』を知っていることが大事。

自信をもって『これが美味しい』と言えることがなによりも大事。

その淹れ方を知っているか、見つけているかどうかだけ。

同じ豆で、時間や量を同じにしても人によって味が全然違う。
人の性質と言えばそうだけど、性質によって淹れ方に癖が出るからそうなる。

お店で出すならそれがぶれないように、レシピがあって決まった行程と訓練が必要。



今回何種類か の豆を 飲み比べて、 自分はこれが好きというのがはっきり分かった。
それが単純に嬉しかった。

というのは、自分はこれが好き と言える物が最近よく分からなかったから。
何をするにしてもどこかの情報や 誰かの声 そんなのを気にしていたのかもしれない。
それを基準に していたのかもしれない。
自分のいいを感じるより、 誰かのいいを そうなのかなあと流されるように自分のモノなのかのように 扱っていたのかもしれない。
誰もそんな事言ってないのに、 こうなれって言われているように感じて、 誰かのせいにして よく分からないところをぐるぐる回っていたのかもしれない。

好きな味は自分で決めて良いんだ。
万人受けするとかは置いといて、 まずは自分の好きがなきゃ。

自分の好きは自分で決めなきゃ、 自分のことは自分で決めなきゃ、 自分の嫌いも自分で決めなきゃ。
誰にもわかるわけがない。
誰がどう言おうと私はそれが好き 私はそれが嫌い ということは 自分にとっては一番大事。
周りのそれとは切り離して、持っていることが大事。

何事にも言える。
自分が好きなものが分かってないと、どうしたら良いか分からない。どこに向かえばいいのか分からない。
もう一度、自分を知ろう。


『好きに辿り着くために試行錯誤する』

そんな趣旨とは違う何かを分かりやすく学んだ気がする。

交換日記~勝手にお返事⑥~

cakes.mu

 

前々回辺りから人間関係について

「密室化」か「ドーナツ化」かについてそれぞれ書いてあった。

 

人間関係について。

昔から常々考えている。

 

そんな私はというと

「密室化し損ねたドーナツ化」

かなと思う。

 

昔から。

好きな人は好き。怠けるし、なんでも話すし、笑顔はこぼれるし、正面から見つめることができる、無口でもいられる。

私の好きな人は安心していられる人。

できるだけ一緒にいたい。他の人にはあまり目がいかなくなる。

 

苦手な人、馬が合わない人

なんか緊張する、何を話したら良いか分からない。どこをみたら良いか分からない、目を合わせるのが怖い。

 

と二極化する。密室化まっしぐらと思いきや…

ある日突然どこかを越えると、好きな人との距離が分からなくなる。

この人にはこの人の人生があって私には私の人生がある。交わる必要性はそもそもない。それを前提にするならこれ以上近付いたらあとで傷付くのは私だ。ここで調節しなきゃ。私は私で立たなきゃ。

と本当はそんなことないのにしっかりしているふりをする。

あまり自分のことを話さなくなる。

または、人の言動を凄くマイナスに捉えて、「あっ違ったんだ。求めるのは同じ関係性ではなかったんだ」と。聞いたり、相手に傷付いたということを伝えるわけでもなく、話し合いをするわけでもなく、勝手に傷付いて後づさって、これ以上深入りしないように一歩引いた接し方に徹底する。それどころか、この人は私を傷つける存在(敵)なんだと思うようになることもある。これはかなり重症。被害妄想もいいとこ。

だけど今でも明らかにあって、(つい最近もあった)自覚しているだけまだましかとも思うけど、自覚してもどうしていけばいいのかわからないのが問題。

 

すると気づいたら自分で壁をつくって、好きな人もいつの間にかドーナツ化だ。

ぽっかり空いた穴の中央線で自分から遠ざけたのに寂しさを味わう。

 

だから、さくちゃんが書いていた

その相手と

「どんな関係性を望んでいるか」

というのを自分で理解しておくことは本当に大事だと思う。

そしてまずなりたい関係性が現実的であるか、持続可能であるかは取り敢えず最初の最初は置いといて、自分の素直な気持ちを否定せずに受け入れることは私にとても大事な気がする。

あれこれ考えるのはその後だ。

違うかな。

 

 

でもそう考えていると、今までそういう風にしか関係を築けなかったので、「どんな関係性になりたいか」

の選択肢がほとんど思い浮かばない。

「側でみていたいか、そうでもないか。」

その二択かな。

どちらにしてもちょっと遠いきもする。

 

男女関係なく、気の合う人、安心していられる人に出会えるというのは本当にありがたいことだと思う。

だからその関係性、繋がりの可能性を自らの思い込みで失くしてしまわないようにしていきたいという今日この頃。

 

 

でも、仕事が絡むとどうもそうもいかなくなるなぁとも思う。

 

恋愛にもどうもいきつかない。

この先も私がそれを求めるのはちょっと難しいのかな。とも思っている。

それもきっと思い込みなのだけれども、根本的な人との関わり方、私の考え方を変えなければ難しいのだと思う。

 

この頑なに張り付いた思いこみ、どうやったら剥がしていけるのだろうか。

 

こんな性格だから、なにか自分が生きやすくなるヒントはないかと色々な本を読んできたし、人と話す中で考えてきた。

「人間の悩みはほとんど人間関係」

「人間の根本的な性格は家庭環境による要因が大きい」

というのは何度も目にしてきた。

 

家庭環境は、人生で最初の集団生活。

それがどうも上手くできなかったよなあ。

私は愛情は受けていたと思う。三姉妹の末っ子だし、可愛がって貰った。甘やかされた。姉がレールを敷いてくれた。決められた中での自由があった。

だけど、それらを真っ直ぐ受けとることが出来なかったのかな。

姉という存在は大きかった。

常に比較対象でもあった。

権力があったように思う。変な緊張感があった。機嫌を損ねないようにしていた。

家でも殻をつくってきたし、周りもまたそれを私だと認知してきた。


この歳まできて、ようやく自分は昔から繊細で敏感だったのかも?と気付いた。
だからといって生活が打って変わるわけではないし、それが役立つこともないけど。
自分で固い殻を作ってそこに触れないように守ってきたのだとも。

 

どこが最初で、どこから変えていけばいいのかわからない。

でもサクちゃんが書いているように、もう関係性は自分で選んでいくことができる。

誰をそばで見ていたいか、どういう関係性を作りたいか。の選択肢がもっと増やしていけたらいいなと思う。

「うれしい!たのしい!大好き!」待ち。

ともあるように、私のわくわくを取り戻したい。

「何が好きだったか」「小さい頃のわくわく」

今はわくわくさえにも制限がかかっている感じがする。

もしかしてなんらかの過去によってそれが排除されていることもある。もしくは美化されていることもある。

最近は、自分の持つプログラムを書き換えるように働きかけるNLPに興味がある。

上に書いている、被害妄想のプログラムを書き換えることが可能なのかもしれない。

「動きと心の関係」とか「呼吸がもたらす作用」とか「脳と心」とかにも。

理屈、感情、動き、会話、今一度いろんな所からヒントをもらいながら、再構築していきたいところ。

 

2020.8.10 赤穂 ~足りないものを補給しに~  

f:id:ymcvsss:20200811145355j:plain

 

自分の暮らすまちとはちがう場所で自転車を漕ぐ

住宅街、幹線道路、路地裏、坂道、畑のすぐそば、トンネル、川沿い…

この日は向かい風に力を奪われるほどに強い風が吹いていた。

暑い、とにかく暑い。ぽたぽたと汗が垂れる。

1人でシャワーを浴びたようになっていた。

でもなんか気持ちいい。

 

こういうのが足りてなかったんだ。

やっとわかった。

 

夏の記憶が蘇る。

人のいない静かなまちを自転車ではしる。家はあるのに、車は走っているのに、人はいない。なんだか悪いことしている気分とわくわく。突き進んだり、引き返したり、気になる道で止まってみたり。たまにマップをみながら。

まちの人は当たり前だけど道に詳しい。近道を教えてくれるけど、聞いても大体わからない。

謎の山登り。汗だくで頂上で寝っ転がって数時間を過ごす。

顔を真っ赤にして、汗だくになって、化粧なんか気にしない。(日焼けはきになるけど)

静かな海を眺める。波の音。夜の海。誰かの弾き語り。

移動の電車では疲れてうたたね。

夜はすぐさま眠りにつける。

暑いのは苦手だけど、なんだかんだこういうのは好きみたい。

 f:id:ymcvsss:20200811144829j:plain

 

 

思い付きで計画立てずに行ったから、ここは行っとくべきみたいなところには行けてないし、美味しいものも特に食べてはないし、行きたいカフェは、既に受付終了だった。

ほんと、自転車でまちを駆け巡ってきただけだったけどなんだかよかった。

 

 

f:id:ymcvsss:20200811145515j:plain

 

このまちに行ったのは2度目。

何にもしらないけどなんだか好きなまち。

 

兵庫県赤穂市 

坂越駅下車

 

f:id:ymcvsss:20200811144406j:plain

どうしようもない

夏の夕暮れはほっとする。
嫌っている訳じゃないのだけれども、どうも夏とは相性が悪い。
朝から夕暮れまでは常に戦闘か衰弱モードだ。
空が色を変えだして涼しい風が吹き始める時間、ようやくほっと一息つける。
公園や海沿いに人が遅くまでいるのも単に明るいからだけじゃないと思う。


朝からどこかに行きたいと思った。
支度も整った。
だけどどこに行きたいかぐるぐるするだけでどこにも心が向かわなかった。
でもその行き先は家でもなかった。
誰もいない遠くに行きたいと思った。
でもやっぱり行き先は浮かばなかった。
暑さと感情がないどこでもない場所に行きたいと思った。
そんなのは無いか。

はっきり決まらないまま何冊かの本とノートを鞄にいれてとりあえず家を出た。

歩いていると汗がだらだら流れてくる。
電車にのってなん駅か先までいく。
チェーン店のカフェに入る。
ここではないなと思う。
いつも行っている個人経営のカフェに行く。
狭い空間なのでお客さんと店主さんの会話が耳に入る。
色んな情報がはいるけど、今の私にはそれを受け入れる余裕がない。
耳には入ってはくるけど心は遮断している。
なんか今日はここでもない。


どこに行きたいんだろう。
けどほんとうになにも浮かばない。

電車にのってよく行く駅で下車。
コンビニでアイスコーヒーをかって海岸に行って座って本を読む。
音楽を聴きながら海岸沿いを歩いて一駅分歩いて更に15分かかる自宅へ帰る。


私を私たらしめるものとはなんだろうか。

こんなどうしようもない1日があった。

身体について

健康ってなんだろう。
「健康について考えているときは不健康である証拠」
というのを本で読んだことがある。
そのことに意識がいっているから。本当の健康は何も気にしないで済むこと。
らしい。

私は、自分の不調に気付いて、身体の声をきくように意識し始めてから今まで、毎日毎日身体のことについて考えている。
最近はますますそれが強くなって、もっと身体のことを知りたいし、本質を知ることが身体をよくすることに繋がるのではないかと思っている。


日常生活から、姿勢、身体の使い方、力を入れるべきばしょ、抜くべき場所を模索している。
ジムに行きだして、3か月がたった。
以前と比べたら変わってきたこともたくさんある。

首や肩周り、上肢が常にしんどい私。
理学療法士の人や、ジムのトレーナー、整体の人、どこにいってもストレートネックとは言われてきた。それは私も自覚している。
ストレートネックをケアしなきゃいけない。

最近、病院でレントゲンを撮ってもらった。
本当に首の前弯は全くなかった。むしろ、少し後弯していると言われた。

日頃の体のしんどさは、ストレートネックからくる筋肉の緊張だったり、呼吸の浅さ、仕事での腕や手の使い過ぎだったりが原因かな。
ストレートネックがどこまで何に影響しているかは分からない。
頸椎は神経が通っている重要な場所で自律神経の乱れに繋がるとよくきくけど、それが私の場合どこまで影響しているのか。
頸椎だけではなく、胸椎や腰椎とも関係しているだろうし。
全体的な姿勢が関係しているのだろう。


病院で自分の骨を見ることができたのは良かった。
現状を正しく把握するという点で。
普段から直接的に目には見えない体の部分をあれこれと考えているので、本当にこんなにストレートなんだと認識できた。
単純に、「これが私を構成している骨なのか」とイメージできて、少し愛おしい(?)気持ちにもなった。もっと身体の内部を見てみたいとさえ思った。

ジムで鍛えて良くなっていること、身体の変化を感じているところもあるけど、割合的に私はストレッチの方が必要なのかなと感じた。あと呼吸とか。リラックスとか。

根本的に身体を元ある姿に戻すことからしないといけないのかも。完全に元には戻らないかもしれないけど。


たくさんの患者を診ている医者にとって、はよくあることなんだろう。

淡々と説明される。
診断を下すことができるが、本当にすべての情報を聞き出して共に今後を考えてくれる医師はほとんどいないと思う。
そもそも医師とは診断を下すことが役割でそういう役割ではないのかな。
それが機械的で冷たく思えるので、私は難病とかちゃんとした治療法がある症状以外は、病院は時間とお金を浪費してしまう所というイメージ。
現場で実践する役割を持った方々がいる。
最近はそういう方々が独立したりYouTubeSNSで発信している姿をよく見かける。

情報にあふれているから、何が正しいのか判断したいと思った時に、ヒトの身体の「本質をしる」「構造をしる」「機能をしる」「動きを知る」ことが大事なんだろうな。と思った。
何事もだけど、基礎が分かっていればぶれないと思う。それで判断したり、応用したりできるのだと思う。

そういうのを考えているときにTwitterで目に留まったのがこの方。

Kouさん
@koutopo
「ダンサー役者専門パーソナルトレーナー

とあるので、自分とは縁のない業界で専門のトレーナーがいるなら、「私のいる飲食製造業の業界にもそんな人が居てくれあらいいのになぁ」と思った。
私の業界でも、体を酷使し、俯いての前傾の作業+長時間労働とかで体を壊す人が多い。
そういう人は現場では働かず、経営に回ったり専門学校の先生とかになってる場合が多いのを見てきた。
どの業界もそう。表では綺麗な華やかなものに見えて、内側はボロボロで泥臭かったりする。
何にしても、身体を無視して、使い方を知らずしての完成形。
本末転倒というか、本当にそれでいいのかなって思う。
昔とはだいぶ変わってきて組織から個々へと変化してきていると思うけど、日本に根付いている文化とか風潮とか働き方もあったりするのだろう。
まぁ今日は置いといて…

話を戻す。
と思いながらなんとなくその方のツイートを見たら、惹かれるものがあった。
フォローして日々の発信から、
・私のアンテナが狭いだけだと思うけど、こんな動きをあげている人を初めて!すごい!興味深い!
・詳しくない私でも身体を表面的ではなく本質的に理解をしていると感じた
・1人の人間の中に身体のことについて色んな面からの視点があっておもしろい
・哲学的な発信もおもしろい

とよくわからないけど、「凄い人」だと感じた。「凄い」じゃあまりにも言葉が足りないけど、何者なんだろうと。
そして、私の個人的な身体の研究の何かしらのヒントになる気がした。

 


一度、YouTubeでのヨガの配信に参加してみた。 

ymcvsss.hatenablog.com

 


本当に身体が楽になった。
多分、この人の経験、知識、伝え方、動き、言葉、声の出し方…全てが合わさっての効果なんだと思った。




普段はダンサーや役者さんに対してしかパーソナルをしていないけど、ある日オンラインパーソナルなら一般も受け付けているとあったので思い切って申し込んでみた。
終わってから、zoomが不慣れだったり自分の中でいろいろと準備不足でちょっと勿体ないことをしたなぁと思ったのだけど、画面越しにでも直接やりとりができたのは貴重なものだったと思う。だからこそ余計にもっといろいろ考えておけばよかったと思った。

そして、Kouさん含めた3人でされている、「身体が良くなるonlinestudio」に参加することに決めた。

community.camp-fire.jp


お二人は、

たけさん @RihaClinicians このスタジオの管理者 理学療法士ピラティス専門

モッキーさん @chinesu4 理学療法士 スポーツトレーナー

前1度ちらっと見たときは、でもなぁ…と思ったけど思い切って参加してみようという気持ちになった。
オンライン上でのスタジオ。クラウドファンディング方式で、月額3000円以上で人の身体についての情報を受け取れる。
まだ最近参加したばかりだけどヨガ、ピラティス理学療法、スポーツトレーナー…これもさまざまな視点からきちんとした情報を受け取れ、信頼できる。

ライブ配信や、zoomでの企画、文字や音声や動画での専門知識の発信、歴史…

本当にたくさんの良い情報がありすぎて、私は追いつかない状況。
過去の内容をみていてい、インストラクター3人の発信や返信はこまめで、本当に身体のことに真剣で、動きが好きで、悩みがある人の力になりたいと思って活動されていると分かる。

インストラクター3人と参加者に壁があり別世界という感覚ではなくて、一緒に何かを学んでいるという。という感覚。
サロンに参加している方々も、アグレッシブな方々で刺激になる場。
皆、運動や楽器やインストラクターやダンスをしていたり、専門家だったりの人が多くて、私がここにいていいの?って思うけど、私は私で目的があるし、知りたいがあるし、わくわくもある。
逆にこんなに自分が知らない世界の人が居るところに参加できてラッキーだなと。
うまく活用して自分の世界を広げられたらいいなと思う。


身体のことを考えるようになって、これは私が一生をかけてみていくものなのだと思っている。
何を信じるか、何が自分に合うかは人それぞれで、それを自分で経験しながら探していくしかない。

このオンラインサロンは身体を知る、自分を知る、ひとを知る、感覚を知る、使い方を知る。

色んなことに繋がると思う。



個人的には…


どんな人でも身体の使い方って生きていく上で持ち合わせているべきだと思う。

生まれてから少しの間はこんなのじゃなかったのに、どうして抜け落ちてしまったんだろう。どうして忘れちゃったんだろう。昔はあんなにおにごっことか走り回ったり、うんていとか鉄棒とか体を動かしてなんぼな私だったのに。とついつい思ってしまいます。(身体はピークを越えたら退化・老化していくのは仕方ないとしても)

それでも、直接会うジムのトレーナーさん、オンライン上でのインストラクターさん、Twitterでの発信、何気ない言葉が、ふとした時に「あっこういうことか!」と感覚や身体とシンクロして、発見となり、自分の身になることが多い。
「身体」について考えるとき、個体差があり、誰も自分の内部を直視したことはないし、感覚も人によりけりで、それが一筋縄ではいかなくて、たまにしんどくなるときもあるけど、諦めはしない。面白いし。底はないんだろうな。
広く深い世界、これまた自分がどこにフォーカスを当てていくのか、どこから手をつけたら良いのか整理がついてない。
断片的に情報は得ていてもまだまだ知らないことだらけで、知りたいこともたくさん。
それを線にして身に付けるため、勉強と実際の動きを楽しんでしていきたい。