どうしても自分の心というものが分からなくなってしまう。
心というのは、きっと深い深い器のようなもので、それは幾つもの層でできているように思う。
奥底には、ちゃんとした、自分の『人としてどうありたい』とか本質的なもの、根源みたいなのが、あると思う。
それはもう本当に奥の奥底で、色んなものが重なって重なって、押し潰されてぺっちゃんこになっている。
でも薄っぺらでも、カチカチになってちゃんとそこにある。
なかなか辿り着けないし、覗けないけど、取り出すこともできないから、きっと無くなることもない。
そんな『自分』というものを私は、最後の最後には信じている気がする。
もうどうでもいいや~、どうにでもなれ~、どうせ私がどうこうしたところで誰も見てないし~
となげやりになることがたまにあるし、そういう自分もたまには必要だとも思う。
だけど、最終的には帰ってくる。
なにやってんだろう、しょーもない、結局こうはなれないんだ…って。
その奥底にあるものをはっきりと何とはわからないけど、わからないけど、きっと私は私を信じている。
安請け合いや安売りはきっとしない。
それは多分、無意識なところで。
それでもなんで私は、どこからか人が言ってくれてきたことを素直に信じて、自分を鼓舞して邁進できなくなったんだろ。
あの時やあの時。
その人がそう見えてるからそう言ってる。
そう言いたいからそう言ってる。
むしろ言わせてとおこう。
と思えたらいいのだろうか。
言わせておこうはちょっと違うかな。
悲観が入ってる。
心 / 稲盛和夫 著
を読んで素直な沸き上がった感情を書いてみた。
こういう話だったかと言われると違うような、近しいような。いや、違うか。